へいじのらん
平治の乱
平治元年/1159年12月9日





(陸宮本やぐら・大屋桝合右面)



平治の乱(平治元年/1159年12月9日・平清盛 vs 源義朝・藤原信頼)

保元元年/1156年7月の保元の乱で勝利した平清盛と源義朝だったが藤原信西の計らいで平清盛にのみ恩恵が与えられた。それを不服と思った源義朝は藤原信頼と手を組み平清盛が京都を留守にした際に藤原信西を殺害、さらに天皇・上皇を幽閉しました。窮地に陥った平清盛は京都に戻り天皇・上皇を奪い返す事に成功、藤原信頼を殺害、源義朝も逃げるが尾張で殺害されました。この戦いがこれから始まる平氏政権の基礎築くことになりました。

この平治の乱は当時13歳だった源頼朝にとって初陣でした。源家重代の「源太産衣」という鎧を着用し「髭切(ヒゲキリ)」という太刀を帯びての出陣だったと伝えられています。だが源氏の大敗と言う結果に終わり東国に逃れようとするが平頼盛の追手によって捕らえられ、平清盛は処刑する様に命じるが平清盛の継母:池禅尼の懇願によって一命を助けられ、伊豆国へ流されました。



◎ 京都府京都市東山区轆轤町付近の地図


300万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。



25万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。







陸宮本やぐら / 大屋根桝合右面