ひこいっせのみこと おのさと
別題:神武東征
神武天皇元年/紀元前660年2月11日・神武天皇
(男里南組やぐら・大屋根懸魚正面)
● 彦五瀬命 呼唹郷(神武天皇元年/紀元前660年2月11日・神武天皇) 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ・日本書記では神日本磐余彦尊・カムヤマトイワレヒコノミコト)は兄の彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)とともに日向(現:宮崎県)の高千穂にて葦原中国を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにした。いわゆる神武東征である。 浪速国の白肩津(現:大阪府東大阪市付近)にてナガスネヒコの軍勢と戦いになり、ナガスネヒコの矢が彦五瀬命に命中する。矢傷を負った彦五瀬命が血沼(茅渟:現大阪湾南部)の海を南下し山城の水門(山の井水門)に至った時、矢傷が甚だしく雄叫び亡くなった。そこを「雄水門(オノミナト)」と呼び、乎郷→呼唹郷(オノサト)→男里になったと伝えられている。雄水門には現在、男神社・浜宮が祀られている。 |
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◎ 大阪府泉南市男里付近の地図 |
300万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。 25万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。 |