いちのたにのたたかい
一ノ谷の戦い
別題:鵯越の逆落とし・敦盛呼び戻す熊谷直実
寿永3年/1184年2月7日




(上記写真は下出やぐら・小屋根幕板正面)



一ノ谷の戦い(寿永3年/1184年2月7日・源範頼・源義経 vs 平敦盛)

寿永3年/1184年2月7日、源義経軍は一ノ谷へ向け出陣、鵯越(ヒヨドリゴエ)に兵を進めた。しかしながら鵯越は人馬が駆け下りる事は不可能な岸壁の頂上であった。しかし源義経は自分を手本にしろと言い、先頭をきって岸壁を駆け下りた。いわゆる「鵯越の逆落とし(ヒヨドリゴエノサカオトシ)」である。既に源範頼軍と戦っていた平家に岸壁から駆け下りてきた源義経軍が加わった。

源範頼軍と源義経軍に追われて逃げ惑う平家は海辺へと敗走しはじめ、沖の船を目指して馬を海に入れて逃げ行った。それを見た源氏方の熊谷直実は「敵に後ろをお見せになるのか。戻られよ」と呼び戻した。すると馬上の武者は馬を返し渚に上がろうとしたところを熊谷直実に組み伏せられてしまう。いわゆる「敦盛呼び戻す熊谷直実」である。

熊谷直実が武者の兜をとり顔をみると薄化粧をした、歳のころは我が子と変わらぬ美しい少年であった。熊谷直実が「名乗られよ、お助けいたす」と尋ねるが名乗らずに「首を取って誰かに問えば知っている者がいるであろう」と答える。熊谷直実は見逃す事も考えたが、背後より土肥・梶原の軍勢が迫っており、同じ事ならいっそ我が手でと泣く泣くその少年の首を取った。

少年の腰には青葉の笛があり後に平経盛の子、平敦盛だと知る。やがて平敦盛を討ったことに対する慙愧の念と世の無常を感じていた熊谷直実は出家し法然上人の下で平敦盛の事を弔ったと言う。



兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町付近の地図


300万広域図(潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より)   ※ 上図をクリックすると拡大します。



25万広域図(潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より)   ※ 上図をクリックすると拡大します。







下出やぐら / 小屋根幕板正面



自然田上東組やぐら / 小屋根幕板右面



自然田上東組やぐら / 大屋根犬勾欄正面手前



自然田上東組やぐら / 大屋根犬勾欄正面奥



自然田上東組やぐら / 大屋根犬勾欄正面奥



市場やぐら / 大屋根幕板右面



市場やぐら / 大屋根幕板左面



大苗代やぐら / 小屋根板勾欄右面



陸宮本やぐら / 大屋根幕板正面



男里南組やぐら / 小屋根桝合右面