いしばしやまかっせん
石橋山合戦
別題:朽ち木隠れ
治承4年/1180年8月23日




(自然田東組やぐら・大屋根板勾欄正面左)



石橋山合戦(治承4年/1180年8月23日・大庭景親 vs 源頼朝)

治承4年/1180年8月、源頼朝は平氏の一族、伊豆目代山木兼隆を攻め平氏打倒の旗を挙げ同23日、相模石橋山に陣を張った。源頼朝の話を聞いた平家方の大庭景親は源頼朝打倒のために出陣した。両軍は石橋山の谷を隔てて対峙、夕刻より戦が始まった。平家方は3,000騎、一方源頼朝側は300騎、数の上でも圧倒的に勝る平家方に惨敗し源頼朝は土肥杉山の洞窟に身を隠し命びろいした。いわゆる「朽ち木隠れ」である。その後、源頼朝は土肥実平の助けにより安房に逃れ、再び反平家の旗を挙げた。石橋山合戦は治承・寿永の乱の一つで「義経記」には小早川の合戦と表記されている。



◎ 神奈川県小田原市石橋付近の地図


300万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。



25万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。







山中渓やぐら / 大屋根欄間左面



自然田東組やぐら / 大屋根板勾欄正面左



自然田東組やぐら / 大屋根板勾欄正面右