きゅうしゅうせいばつ
九州征伐
天正14年/1586年7月から天正15年/1587年4月




(先代・自然田上東組やぐら・大屋根幕板左面)



九州征伐(天正14年/1586年7月から天正15年/1587年4月・豊臣秀吉 vs 島津義久)

九州を代表する二大勢力である大友氏と島津氏が国盗り合戦に明け暮れる中、次第に島津氏が勢いを増してきたので大友宗麟は豊臣秀吉に九州平定を考え救援を願い出ました。そして天正15年/1587年、豊臣秀吉は20万の軍を率いて九州に攻め入りました。

俗に天正14年/1586年7月から天正15年/1587年4月にかけて行われた一連の戦を九州征伐・九州平定・九州攻め・九州の役・島津攻め等の名称で呼ばれることもある。結局、島津義久は豊臣秀吉に降伏し、豊臣秀吉は九州を平定した。



◎ 鹿児島県薩摩川内市大小路町付近の地図


300万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。



25万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。







先代・自然田上東組やぐら / 大屋根幕板左面



男里南組やぐら / 大屋根欄間左面