おけはざまのたたかい
桶狭間の戦い
永禄3年/1560年5月19日




(上記写真は下出やぐら・大屋根幕板左側)



● 桶狭間の戦い(永禄3年/1560年5月19日・織田信長 vs 今川義元)

永禄3年/1560年5月、尾張に侵攻する今川義元の大軍を前に織田信長の重臣達は「篭城すべし」と主張するが織田信長は明確な作戦を指示しなかった。一方、各所に配した密偵に今川義元の動きを逐一、報告されていた。

そんな中5月19日未明、今川勢が織田方の丸根砦、鷲津砦に攻めかかったと言う急報を受けた織田信長は出陣を号令する。今川義元の前線基地である大高城へ入るには桶狭間と言う細長い窪地を通らなければならなかった。その際、列隊は伸びきった時に攻める策だった。

すると密偵より「今川義元は田楽狭間にて、小休止中です」と報じてきました。この時織田信長の頭の中には、いかに敵の目をかわしながら早く到達するかと言う思いしかなかった。その時、突然豪雨が降りしきり、一時的に織田信長軍を秘匿してくれたのだった。織田信長軍が桶狭間山の山頂に着いた時、「かかれ!」の号令がかかり、今川義元本陣めがけて攻撃した。今川義元本陣は、突然の敵襲にあわてふためき、崩壊した。



◎ 愛知県豊明市栄町付近の地図


300万広域図(潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より)   ※ 上図をクリックすると拡大します。



25万広域図(潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より)   ※ 上図をクリックすると拡大します。







下出やぐら / 大屋根幕板左面



大苗代やぐら / 大屋根桝合右面



北野やぐら / 大屋根桝合右面



男里南組やぐら / 大屋根板勾欄右面