さとうただのぶ
佐藤忠信
別題:基盤忠信
仁平3年/1153年もしくは応保元年/1161年−文治2年/1186年9月22日





(自然田東組やぐら・小屋根桝合左面)



佐藤忠信(仁平3年/1153年もしくは応保元年/1161年−文治2年/1186年9月22日)

九州へ落ち延びようとする源義経だったが暴風雨に遭い陸路平泉へと向かった。道中、佐藤忠信は宇治で源義経と別れ都に潜伏した。文治2年/1186年9月22日、人妻であるかつての恋人に手紙を送った事から北条義時に居場所を密告されてしまう。潜伏していた中御門東洞院を襲撃され、佐藤忠信は堅く重い榧の木でできた基盤を投げその場を逃げ抵抗するが多勢に無勢、遂に自害した。






自然田東組やぐら / 小屋根桝合左面