しょうとくたいし もののべもりや ちゅうばつ
聖徳太子 物部守屋誅伐
用明天皇2年/587年・聖徳太子 vs 物部守屋




(上記写真は岡田西組やぐら・大屋根幕板右面)



聖徳太子 物部守屋誅伐(用明天皇2年/587年・聖徳太子 vs 物部守屋)

用明天皇元年/585年、敏達天皇の崩御を受け父・用明天皇(31代天皇)が即位した。この頃、仏教の受容を巡って崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋とが激しく対立していた。用明天皇2年/587年、用明天皇が崩御すると皇位を巡って争いになり蘇我馬子は豊御食炊屋姫(敏達天皇の皇后)の詔を得て、物部守屋が推す穴穂部皇子を誅殺し、諸豪族・諸皇子を集めて物部守屋討伐のための大軍を起こした。聖徳太子(厩戸皇子)もこの軍に加わった。討伐軍は河内国渋川郡の物部守屋の館を攻めたが抵抗され、三度も撃退された。これを見た聖徳太子は、白膠の木から四天王の像をつくり戦勝を祈願し、勝利すれば仏塔をつくり仏法の弘通に努めると誓った。すると討伐軍は物部守屋を射殺、物部氏は没落した。




岡田西組やぐら / 大屋根幕板右面



岡田西組やぐら / 大屋根幕板左面