うじがわのたたかい
宇治川の戦い
別題:宇治川の先陣争い
寿永3年/1184年1月20日





(市場やぐら・小屋根幕板右面)



宇治川の戦い(寿永3年/1184年1月20日・源範頼・源義経 vs 源義仲)

寿永3年/1184年1月20日、後白河法皇から源義仲討伐を命じられた源頼朝は、弟の源範頼・源義経の大軍を派兵した。源義経は京に居座る源義仲を追討するため宇治川に迫った。一方、源範頼は瀬田(勢多)から京を目指し源義経は宇治川を北上して直接京に攻め入ろうとした。平等院から宇治川を渡ろうとする源義経軍に対して宇治橋を中心とする源義仲勢との間で激戦が展開された。

その時、源義経方の佐々木高綱と梶原景季が源頼朝から与えられた白い名馬「生月(イケズキ)」と黒い名馬「磨墨(スルスミ)」で進軍、平等院から宇治川に至った二人、当初は梶原景季が先を進んでいたが佐々木高綱が「馬の腹帯がゆるんでいる」と声をかけ、梶原景季が腹帯を締め直している間に佐々木高綱が先陣を名乗ったという。いわゆる「宇治川の先陣争い」である。

結局、源義経軍は源義仲勢を打破って都に進撃、源義経は後白河法皇の守護に成功。それを見た源義仲は瀬田へ逃げるが粟津ヶ原合戦で討死する。



◎ 兵庫県尼崎市寺町付近の地図


300万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。



25万広域図 (潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より) ※ 上図をクリックすると拡大します。







自然田東組やぐら / 大屋根欄間正面



市場やぐら / 小屋根幕板右面



陸宮本やぐら / 大屋根欄間右面