ずいほうじえんぎゅう はちまんごしんたいきしん
瑞寶寺圓牛 八幡御正体寄進
寛永15年/1638年11月




(上記写真は自然田上東組やぐら・大屋根桝合正面)



瑞寶寺圓牛 八幡御正体寄進(寛永15年/1638年11月)

天正13年/1585年、豊臣秀吉の紀州攻めの際に兵火によって焼き尽くされた波太神社であるが寛永15年/1638年11月に本殿が再建された。その時納められた八幡(応神天皇)御正体は自然田瑞寶寺住職の圓牛が寄進したものである。しかし明治元年/1868年の神仏分離令により明治2年/1869年、御神体は堺で製造された鏡に取り替えられ、旧御神体は石田祐道寺に預けられ370年以上経った今でも金色の輝きを保ち続けている。