- 地車文献 feat. 泉州物語 平成21年5月号 -
- 2009/4/17 -






泉州やぐら祭り
〜泉州を彩るもうひとつの秋祭り〜


◎ はじめに
大阪府の内外を問わず、「泉州秋祭り」と聞くと大半の方々は岸和田だんじり祭り、或いは他の地域のだんじり祭りを想像するかと思います。もちろん「だんじり祭り」は泉州を代表する秋祭りであり、大阪が日本全国にほこる祭礼文化の一つに数えられます。しかし、同じ泉州の祭礼においてだんじりに負けず劣らず古き伝統を守り続ける祭りがあります。それが泉佐野以南を中心に毎年盛んに行われる「やぐら祭り」です。今回は泉州物語の読者の方々からリクエストの多い、「やぐら」について、少しでも皆様にお伝えできればと思います。

◎ やぐらの起源
やぐらとは泉佐野市の一部・田尻町の一部・阪南市・泉南市・岬町で行われている秋祭りに曳行される山車(だし)の総称で、現在この地域で52台のやぐらが曳行されています。
やぐらが曳行され始めたのは江戸時代の天保期(1830年〜1844年)からとされており、その歴史はおよそ270年ほどだと云われております。元はだんじりと同じく日本三大祭りの一つ京都の祇園祭を祖として、だんじり文化の派生が京都→堺市→泉州(諸説あり)に対し、やぐら文化は京都→奈良→和歌山→泉州と云われるようにだんじりよりも広範囲を経由して泉州地域に伝わっています。このルートこそだんじりとやぐらを全く違ったもの、またはだんじりとやぐら双方の姿見・曳行スタイル・特徴を位置づけたと推測されます。

◎ やぐらの特徴
やぐらの特徴として我々が最初に思い浮かべるのは、だんじりのコマが四輪に対し、やぐらは直径1.5メートルの二輪コマで構成されていることだと思います。この違いはやぐらが和歌山から紀伊山脈を越えて泉州に伝わる過程で生じたと云われており、二輪にすることでより坂道に強く、蛇行や大きく上下に揺らす(ねる・しこる)ことを可能とするやぐら独自の形態へと発展したのではないかと考えられます。またその為、やぐらの屋根には大工方が存在しません。だんじりでいう前梃子の役割をする部分は「梶台」と呼ばれ、その名の通りこの梶台がやぐら曳行の「舵取り」を担っております。これもだんじりとの相違点の一つとして挙げられます。また曳き手は皆で「やぐら節」を唄い、やぐら前方に乗る音頭取りが全体の調子を合わせます。太鼓は後方に設置され、打ち手は歩きながら太鼓を刻み、その後ろには笛の吹き手が控えているというスタイルもやぐらの大きな特徴の一つと言えます。

波太神社(阪南市)にはやぐらについての文献が残ってあり、昔は旧暦の2月と6月の丑の日に祭りを行っていたので「丑祭り」と称し、2月の初丑には貝掛の指出森神社へ御神輿の渡御があり、6月の祭りには波太神社にやぐらを曳き入れ、「石田の血祭り」「喧嘩祭り」とも言われたそうです。大昔の波太神社の祭礼は祭礼日前日にやぐらが境内に集まって夜通し祝い、日付が変わると宮入りして神様をやぐらに迎え入れ、村に持ち帰ってから祝う祭りだったそうです。しかし、喧嘩や死人の絶えなかった為に、藩から祭礼日改正を求められ、秋祭りとして昼中心の祭りとなりました。変更後も祭礼の始まりは宮入で、宮入をして神様を迎え入れてからでないと地区内での曳行はできませんでした。現在でも宮入が遅いと曳き出し時間を遅らせる地区があるのはこの名残だそうです。

協力:阪南市の祭・やぐら http://yagura.fan-site.net


(泉州物語 平成21年5月号 p.9〜p.10より)