- 地車文献 feat. 祭遊記 平成21年6月号 -
- 2009/7/3 -








泉南市 西信達地区 岡田のやぐら
ひとつの町で3台のやぐらを所有する町

泉南市岡田。

ここは3台のやぐらをひとつの町で運営している。決して大きな町ではなしこの町で3台ものやぐらを運営していくのは並大抵のものではないであろう。しかも、平成16年には1台のやぐら(北組)を新調、その5年後の今年、また1台のやぐらが新調される。5年で2台のやぐらを新調する馬力。そして残る1台もいつかは新調したいと言う。取材させていただく中で岡田の人々の祭りにかける力を見せ付けられた感じがした。

やぐらは、泉佐野市以南の祭で、はっきりとした歴史はわかっていないという。が、ある説では、だんじりの変形ではないかとの説がある。

全国の祭の発祥は、京都祇園祭の山鉾がと云われている。だんじりは大坂から堺〜泉大津〜岸和田と伝わり岸和田藩主岡部氏は年に一度城下町人々を城に招待したと云われている。その際に長持(現在のタンスのようなもの)に太鼓を乗せ、綱をつないで引っ張った山車が「祇園祭発祥とする」だんじりの始まりと云われている。そして泉州地域(岸和田藩領)ではだんじりが栄えたという。そして、泉州〜奈良〜和歌山とだんじりのような山車が伝わり、その後泉州地域(南部)に伝わる。その伝わり方は鍵があるのかも知れない。紀伊山脈を越えたあたりから車輪が4輪から2羽になったという説がある。それはなぜか。急な坂道が多いこの地域では、4輪より2輪の方が曳きやすい。それで2輪のやぐらができたのではないかという。このような歴史で考えるとやぐらが誕生したのは泉州地域にだんじりのような山車が伝わってから約50年〜60年後ではないかと推測される。

泉佐野市では、大木地区に「担いだんじり」と呼ばれる車輪の付いていないだんじりがある。その祭りも由来は不明であるが、やぐらとよく似た歴史があるのではないかと考える。もしくは、担いだんじりに2輪をつけてやぐらになったのではという説もある。

はっきりわかっていない歴史ではあるが、いろいろな諸説からこのように紐解いていくものなかなかおもしろいものだと思う。

※ 上記に書いている内容はあくまでも諸説です。
岡田青年団の方より資料提供

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平成16年に1台、そして今年1台のやぐらが新調!そんな祭りへの意気込みを語っていただきました。

岡田と言う町は、北出・中出・西出(下岡田)、そして陸宮本(上岡田)の4つで1つの地区になっています。陸宮本は別の自治会になっています。このやぐらも昨年新調されました。

昔は「番曳き」といわれ、各町(北出・中出・南出)で管理し、各町で曳いていました。第2室戸台風でつぶれてしまったこともあるそうです。また陸宮本が諸事情により曳行が出来なかった時期があり、その間陸宮本の子どもたちは岡田のやぐらを曳いていたとのことです。

さて、岡田のやぐらですが、現在は北組・中組・西組と呼ばれています。平成16年の北組のやぐらが新調されるまでは、岡田壱号・弐号・三号と呼ばれていました。

まず、北組のやぐらですが平成16年に新調された新しいやぐらです。このやぐらはケヤキ作りで中組・西組に比べて大型です。特徴は本幕です。白の本幕で「川中島 龍虎相討つ」が刺繍で見事に表されています。

中組のやぐらは、明治中期の制作で平成10年に大修復されています。このやぐらは当時では珍しく宮大工が作ったと云われ、商売人が多く財力があったためと伝えられてます。本幕は「加藤清正の虎退治」で平成12年に制作されました。

続いて西組のやぐらですが、大正5年制作と云われています。このやぐらも平成10年に大修復されています。本幕は賤ヶ岳七本槍で、武士の毛は人毛が使用されています。そして、今年新たなやぐらを新調するそうで、まだはっきりとどの組のやぐらになるかはわかりませんが、新しいやぐらが登場するとのことです。(大工:池内工務店・彫刻:野原湛水師)今年新調されるやぐらは太閤記の中の秀吉記で統一されるとのことです。彫物の詳細については…まだここでは書きません(笑) 9月13日(日)に入魂式が開催されますのでぜひ自分の目で確かめてください!

新調されるやぐらについて保存会の会長さんにお聞きしたところ、「コマのつける位置ですべてが決まる」と言います。「単純に水平をとるというものではないんです。やぐらに携わってる人にしかわからないバランスがあるんです。やぐらを動かすのに中枢になる青年団に実際に上げてみて「ここや!」っていうところにコマを取り付けます。この時が一番大事。これで今後の祭が決まります」と言われていました。これこそが今までの腕の見せ所なのかもしれませんね。

また入魂式の模様も祭遊記、そしてホームページの方でもお伝えします。

岡田の祭の特徴はなんと言っても「音頭!」を青年団の方は言います。町内をゆっくり青年団の音頭と共に練り歩きます。「うちの音頭は年配の方から評判がいいんです!」と青年団団長。曳行するコースで所によってはやぐら1台ギリギリなところもありますが、そこは長年の腕で時間をかけて音頭と共に練り歩きます。この音頭も9月に入ると毎日練習するそうです。

また、やぐらの広報にある太鼓や笛。これは少年団の担当です。少年団は中学1年生から3年生の子どもたちが属しています。この太鼓もまた祭り前になると毎日練習するそうです。岡田の叩き方は他所とは少し違い、岡田独自のお囃子があるとのことです。今年の少年団の団長さんは「祭を自分たちで盛り上げるためにがんばります。練習して手に豆がいっぱいできますが、一生懸命やってたら痛くもありません!今年で太鼓は最後なんでちょっとさみしい気もするけど、今年も精一杯叩きます」と気合十分。

また、青年団には女子部もあり、男性に負けないどころか、上回る気合で祭りに臨ませれいるとのことです。

青年団の活動は幅広く、夏に行われる「盆踊り」では音頭・太鼓・三味線などすべてを青年団で担当します。また、泉南市で掲げる「ABC作戦」という町のクリーン作戦にも率先して参加し、岡田の砂浜の清掃や町内の溝そうじやゴミ拾いなど「岡田のためやったらがんばります!」と本当に力強い言葉でした。

また参拾人組・若頭・世話人という組織もあります。「若者が精一杯祭ができる環境を整えるのが自分たちの役目」と若頭の方は語っておられました。

今回取材させていただきました中で、この町の統率力にびっくりしました。歳の下の団体は上の団体の指示に従い、上の団体は下の団体の意見も十分に取り入れて活動する。すばらしい光景でした。

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子どもからお年寄りまでみんなが楽しめる祭を目指しています!

さて、岡田のやぐらが所属する西信達地区の祭ですが、毎年ハッピーマンデーに合わせた土曜日と日曜日に開催されています。祭の期間中は「やぐら部屋」には入れることなく、ずっと会館前に3台据え置きます。

朝から会館前で3台のやぐらを並べ、神社の宮司さんによるご祈祷があり、1台ずつ会館を出発していきます。昼間は町内をゆっくり音頭をとりながら練り歩きます。夜になると、盛り上がりは最高潮になり、昨年は西信達地区(岡田北組・中組・西組・陸宮本・北野)で連合パレードも開催されたとのことです。

祭の中でも新興住宅の方など、もっとたくさんの人にやぐらの楽しみを味わってもらいたいとの気持ちからいろんなことをされています。

たとえば子どもからお年寄りまで全員で綱を持って、いつもよりはるかに長く綱を伸ばして曳行したり、やぐら同士で綱引きしたり、そして連合引きでは「みんなが楽しめる祭」を目指していろいろな試みをされているとのことです。

そして2日目の昼からは「里外神社」への宮入りです。宮入りでは、いつもとは変わって太鼓の叩き方が変わります。そして音頭もとらず、鳥居をくぐります。やっぱり宮入りなんでゆっくりと…と思いきや…猛スピードで本殿向かって疾走します。そしてギリギリのところで止めます。前に乗ってる人たちが吹っ飛んでしまうくらいの迫力です!(表紙の写真が宮入り風景です)

宮入りの順番は陸宮本が番外で、岡田の3台は町内で決めるとのことです。

そしてまた町内に戻り、音頭をとりながら優雅に練り歩きます。

今年は特別な年!新調やぐらがやってくる

今年は、新調やぐらが誕生します。

前にも書きましたが、岸和田市の池内工務店、そして富山県の野原湛水師によるやぐらがもうすぐ完成します!彫物の内容ややぐらの詳細などは…当日までのお楽しみですが、9月13日(日)に入魂式、そしてお披露目曳行が開催される予定になっております。ぜひ、また新たに新調されるやぐらを見に行っていただければと思います。保存会の会長さんは「次はもう1台も新調やなぁ!」と老朽化している残り1台のやぐらの新調も考えているとのことです。「3台のやぐらを1町で所有し、しかも5年で2台のやぐらを新調する町」っていうのは圧巻です。ぜひ、一度西信達地区「岡田の祭」に足を運んでいただきたいと思います。



(祭遊記 平成21年6月号 p.1〜p.4より引用)