- 地車文献 feat. はじけて燃える阪南の「秋」 -
- 2012/2/2 -






はじけて燃える阪南の「秋」 -祭りは「やぐら」の出番-

わざと根性のみせ場 -波太神社の宮入り-

10月10、11日は、阪南市の秋まつり。1年で一番熱い2日間を迎える。とりわけ10日に行われる波太神社の宮入りでは、各地区の18台のやぐらが集まり、馬場先で勇壮な曳行を繰り広げる。各町それぞれのハッピ姿の群衆に曳かれたやぐらがその後に控える宮入りへの興奮を高めるかの様に練り回る。いよいよやぐらは参道を進み「ソーリャ、ソーリャ」のかけ声と共に徐々にスピードを上げ一気に本殿前の7段の階段を駆け上がる豪快さはまさに圧巻。午前9時から次々と宮入りし午後6時まで続けられる。

【やぐら宮入順番】
@相生(尾崎) A宮本(尾崎) B朝日(尾崎) C大西(尾崎) D上組(鳥取) E栄組(鳥取) F波有手組(鳥取) G新町 H貝掛 I鳥取中 J和泉鳥取 K山中渓 L上組(自然田) M東組(自然田) N上東組(自然田) O石田 P黒田 Q下出
11日には神輿の渡御(鳥取中,和泉鳥取,山中渓)とパレード(午後5時半〜8時)が行われる。

【パレード順位】
@西鳥取−新町・上組・栄組・波有手組 A自然田−東組・上東組・和泉鳥取・上組・山中渓 B東鳥取−下出・黒田・石田宮本・鳥取中 C尾崎−相生町・宮本町・朝日町・大西町

平成元年頃から、各地区のやぐらが毎年順次、修復や新調がなされ、今年は35年ぶりに相生地区が復活新調した。来年は鳥取中地区においてやぐらを新調予定している。有志で17町祭礼評議会を発足させ、平成6年より尾崎駅前を中心に11町のやぐらパレードを行った。昨年はこれに16町が参加、今年は復活した相生地区もパレードに初参加する。17町祭礼評議会事務局の■■■■さん(37)は「心配は観客も含めた事故。伝統・文化の継承と自分たちの祭りを守るためにも自主警備・自己規制が必要」と話す。今年は各町より5人づつの自主警備要員を増やし警備に当たるという。徐々に高まりつつある祭りへの意識をまとめ住民参加のパレードにしたいと意欲を燃やす。

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格式高い波太神社 -鳥取郷一円の氏神-
波太神社は鳥取郷一円の氏神で鳥取部の祖とされる湯河板挙が、桑畑村の地に祖神角凝命を祭ったのがはじまりで「波太」とは畑村(現在の桑畑)の地名から起こったとされる。現在の石田の地に貝掛の指出森神社の八幡社と合祀した時期については「鳥取県大宮八幡宮来由記」には貞観元年(859)。「波太宮八幡宮来由記」では永徳年中(1381〜84)の2説ある。現在の波太神社は波太宮(角凝命)八幡宮(応神天皇)を奉祀する延喜式内の古社であり、鳥居をくぐって左に村内各社を合祀した鳥取神社、右に市杵島神社。正面右階段上に、伽羅式拝殿、その奥に波太・八幡の両神を祭る本社殿、南側に神功皇后・武内宿禰・天湯河板擧命の3神を祭る南殿、東社務所の奥に舞拝殿がある。

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暴れ神輿の神事 -昔は「石田の喧嘩祭り」-
波太神社の往古の祭礼は2月と6月の初午の日に行われたので午祭りと称し、2月の初午祭には貝掛の指出森神社へ神輿の渡御があり貝掛からは甲胄姿の武者が出迎える珍しい神事があったとされる。6月の初午祭は八幡神の神霊を祝め奉った祭りで宵宮祭は氏子一同が宮の広場にやぐらを引き入れ、神の来臨を待ち、笛、太鼓で囃し夜通し紙を祝めた。自然、人の気も荒く喧嘩も多かったことから俗に「石田の喧嘩祭り・血祭り」と称された。現在は10月10,11日に変更されている。11日の本祭りには神輿の渡御が行われ、担ぐ順番に当っている各町から、若衆組や中老の人達が3台の神輿を担ぎ、尾崎の海老野の浜の御旅所へ渡御される。3台の中の1台は御神体を奉安。他の2台はいわゆる暴れ神輿で中老や若衆組が担ぐ習わしがある。神輿が海老野の御旅所に着くと若者達が海中に神輿を担ぎ入れ、しぶきを浴びて勇壮に練り廻る。この行事は神幸と禊(ミソギ)が結合した珍しい神事とされている。

(ニュース泉南 平成8年9月28日土曜日号 p.3より引用)