- 彫物題材 feat. 粟津ヶ原合戦 -
- 2009/4/10 -



(上記写真は下出やぐら・正面向かって右側小屋根幕板)



粟津ヶ原合戦(寿永3年/1184年1月21日・源頼朝 vs 源義仲)

寿永3年(1184年)1月21日、後白河法皇から源義仲討伐を命じられた源頼朝は、源範頼・源義経の大軍を派兵した。宇治川の戦いで敗れた源義仲は後白河法皇を幽閉、しかし源義経は源義仲軍を侵攻し、後白河法皇を救出した。敗北した源義仲は今井兼平らわずかの兵を連れて根拠地のある北陸への逃走。

ところが近江国粟津に着いた処、長年信濃国の支配を巡る争いで因縁があった一条忠頼率いる甲斐源氏軍と遭遇、源義仲軍は壊滅した。そこで源義仲は自害の場所を求めて粟津の松原に踏み込んだ処、馬の脚が深田に取られて動けなくなり、そこを顔面に矢を射られて討ち死にした。これを見た今井兼平も自害して、木曾源氏勢力は崩壊した。

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滋賀県大津市杉浦町付近の地図


300万広域図(潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より)   ※ 上図をクリックすると拡大します。


25万広域図(潟Aルプス社 "プロアトラスSV"より)   ※ 上図をクリックすると拡大します。