- 彫物題材 feat. 敦盛呼び戻す熊谷次郎 -
- 2010/2/27 -



(上記写真は陸宮本やぐら・正面向かって左側大屋根幕板)



敦盛呼び戻す熊谷次郎(寿永3年/1184年2月7日・熊谷次郎直実 vs 平敦盛)

一ノ谷合戦にて、源範頼軍と源義経軍に追われて逃げ惑う平家は海辺へと敗走しはじめ、碇泊させてある御座船や軍船へと逃げこんでいった。熊谷次郎直実が良き敵を探していると、立派な甲冑に身をつつんだ馬上の武者が沖の船へ逃れようとしていた、それを見た直実は「それなるは名のある御大将とお見受けする、敵に後ろを見せるは卑怯でありましょう返したまえ」と大音声をあげた。馬上の武者は勇敢にもとって返すが、直実に組み伏せられてしまう。直実が武者の顔をみると薄化粧をした、歳のころは我が子と変わらぬ美しい少年であった。直実が「吾は熊谷の次郎直実、そなたの名は」と問うが、その若武者は「名乗ることはなし首実検をすれば分かること」と健気に答えた。直実は見逃す事も考えたが背後には味方の手勢が迫っている、同じ事ならいっそ我が手でと、泣く泣く頸を掻くのであった。少年の腰には青葉の笛があり平経盛の子敦盛だと知る。その後直実は、敦盛を討ったことに対する慙愧の念と世の無常を感じ、法然上人の下で出家し蓮生坊となりて、敦盛の菩提を弔い続けたという。

※ 陸宮本やぐら新調記念誌より抜粋 / 許可済 / 無断転用厳禁