- 彫物題材 feat. 灯篭奉納 片桐且元 波太神社再建 -
- 2014/2/19 -



(上記写真は和泉鳥取やぐら・小屋根欄間正面)



灯篭奉納 片桐且元 波太神社再建 (慶長5年/1600年)

天正13年/1585年、豊臣秀吉は10万人の軍勢を率いて根来攻めを行いました。行程は3月21日岸和田城入城、3月22日信達,鳥取、3月23日根来攻め、3月24日粉河寺、3月25日土橋城攻め、3月27日から4月23日雑賀(太田城)攻めを行いました。その際、豊臣秀吉は波太神社を焼き払いました。後に慶長5年/1600年、秀吉の重鎮片桐旦元は豊臣秀頼の命により波太神社に石燈籠を寄進したと言われています。和泉砂岩製の石燈籠、中台に浮彫りされた雁と蟹のデザインはめずらしいもので、当地の石匠による作品であると思われます。



片桐且元(カタギリカツモト) 弘治2年/1556年−元和元年/1615年5月28日

時代:戦国時代−江戸時代前期
別名:助作(通称)、直倫、直盛、且盛(別名)
墓所:京都府京都市の大徳寺、静岡県静岡市の誓願寺
官位:従五位下・東市正
主君:浅井長政→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康
藩:大和竜田藩主

片桐且元は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、奉行、大名。賤ヶ岳の七本槍の一人。豊臣家より豊臣姓を許される。父は浅井氏家臣の片桐直貞、母は不詳。弟に小泉藩主となった片桐貞隆。大和竜田藩初代藩主。且元系片桐家初代。関ヶ原の戦い以降、徳川家康に協力的な立場で豊臣秀頼に仕えていた。 (Wikipediaより引用)