- 彫物題材 feat. 松川合戦 -
- 2015/1/10 -



(上記写真は和泉鳥取やぐら・小屋根欄間右面)



松川合戦(慶長6年/1601年4月26日・本庄繁長 vs 伊達政宗)

慶長6年/1601年4月16日、伊達政宗は白石城から出撃し26日に松川に達し福島城の杉原,甘粕,本庄出羽守,栗生美濃守がこれを迎え撃った。両軍入り乱れるが上杉景勝方は次第に追い崩されて福島城へ逃げて行った。

上杉景勝方の本庄繁長は、ひそかに伊達政宗軍の後ろを襲撃しようと兵をまわしていた。福島城の城兵が危ないとみた梁川城守須田大炊は、阿武隈川を渡り伊達政宗軍を目がけて切り掛かり、伊達政宗軍は敗走をはじめた。この時、伊達家の宝物九曜の紋の幕、紺地黄糸法華廿八品の幕を須田の組西村仙右衛門、曾田宇平次が奪い取った。

更に本庄繁長が福島城の西門から打ち出て、伊達政宗の陣屋に火をかけ燃やしたため伊達政宗はもはや戦場にとどまることができず大崎へと逃げ帰っていった。しかし旧領回復をあきらめない伊達政宗はその後もたびたび侵攻したがことどとく撃退され、上杉景勝と徳川家康との間に和議が成立すると、伊達政宗の侵攻も終わりをつげた。