- 彫物題材 feat. 清州会議 -
- 2015/5/24 -



(上記写真は和泉鳥取やぐら・大屋根欄間正面)



清洲会議(天正10年/1582年6月27日・柴田勝家,丹羽長秀,羽柴秀吉,池田恒興)

天正10年6月2日の本能寺の変において織田信長は明智光秀によって討たれた。織田信長亡き後の織田家後継者及び遺領の配分を決定する事を目的に、尾張国清洲城(愛知県清須市)で開かれた。集まった織田家家臣は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人。

柴田勝家は三男・小田信孝を、羽柴秀吉は織田信長の嫡孫にあたる織田信忠の嫡男・三法師(織田秀信)を押し対立が起こった。しかし羽柴秀吉は明智光秀討伐の功労者でもあり、織田信孝よりも血統的な正統性が強いこともあってわずか3歳の三法師が織田家の後継者として決まり、織田信孝はその後見人として収まった。