- 彫物題材 feat. 山崎の戦い -
- 2015/5/30 -



(上記写真は和泉鳥取やぐら・大屋根欄間左面)



山崎の戦い(天正10年/1582年6月13日・羽柴秀吉 vs 明智光秀)

天正10年/1582年6月2日、本能寺の変で明智光秀は織田信長を謀反し殺害した。備中高松城にて毛利軍と戦っていた羽柴秀吉は翌3日、本能寺の変で織田信長が亡くなったとの情報を入手し急いで毛利軍と和議を結び、明智光秀を討つべく畿内へ急行した。いわゆる「中国大返し」である。

6月13日16時頃、摂津国と山城国の境に位置する山崎で羽柴秀吉と明智光秀の戦いが勃発。羽柴秀吉軍4万、明智光秀軍1万6000の軍勢が小泉川付近で激突、羽柴軍の一方的な勝利に終わった。明智光秀は敗走するが桃山丘陵を越えた小栗栖で土民の襲撃を受け、明智光秀は竹槍に掛かり短い生涯に終止符を打った。

山崎の戦いは「山崎の合戦」、「天王山の戦い」とも呼ばれる。