- 彫物題材 feat. 真田幸村勇戦 -
- 2015/12/29 -



(上記写真は大苗代やぐら・大屋根幕板左面)



真田幸村勇戦(慶長20年/1615年5月7日・徳川家康 vs 真田幸村)

徳川家康は豊臣秀頼に大地震で倒れた京都の方広寺を立て直させた際、その鐘に貼り付けた文字に「国家安康」とあったのを家康の名を二つに切って呪うのだと言いがかりを付けて豊臣氏を攻めました。いわゆる方広寺鐘銘事件です。

この事件をきっかけに慶長19年/1614年12月、大坂冬の陣が勃発、双方激しい戦の末に和議を結び、大坂城の外堀を埋める約束であったが外堀だけでなく内堀までわざと埋めてしまい、大坂城は裸同然になりました。いわゆる「大坂冬の陣」です。

慶長20年/1615年5月7日、二度目の戦が勃発。いわゆる「大坂夏の陣」である。裸同然となった大坂城は同日の深夜に陥落、豊臣秀頼は淀殿らとともに自害、豊臣家は滅亡した。

その際豊臣方の真田幸村は大坂夏の陣で、3500の兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込んだ。