- 彫物題材 feat. 倶利伽羅峠の戦い -
- 2016/4/28 -



(上記写真は自然田上東組やぐら・大屋根板勾欄右面)



倶利伽羅峠の戦い(寿永2年/1183年5月11日・源義仲 vs 平維盛)

寿永2年/1183年5月11日、平維盛率いる平家軍は能登国志雄山に二手に分かれて7万余騎の陣を敷いた。一方源義仲本隊は砺波山へ向かった。平家軍が寝静まった夜中、源義仲軍は突如攻撃を仕掛けた。浮き足立った平家軍は退却しようとするが退路がなく、大混乱に陥った平家軍7万余騎は唯一の逃げ道だった倶利伽羅峠(クリカラトウゲ)へ向かった。だがそこは断崖であり将兵が次々と谷底に転落して壊滅した。治承・寿永の乱における戦いの一つである。

「源平盛衰記」にはこの攻撃で源義仲軍が数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向け放ったとある。いわゆる「火牛の計(カギュウノケイ)」である。