- 彫物題材 feat. 八尾・若江の戦い -
- 2016/7/9 -



(上記写真は陸宮本やぐら・小屋根桝合右面)



八尾・若江の戦い(慶長20年/1615年5月6日・井伊直孝・藤堂高虎 vs
                              木村重成・長宗我部盛親・増田盛次)

1615年/慶長20年5月2日、豊臣方の木村重成の兵6,000が大坂城を出発。豊臣方の長宗我部盛親・増田盛次の兵5,300もその頃に出発したと思われる。5月6日若江に兵を進める事にしたが徳川方の藤堂良勝が若江に向かう豊臣軍を発見。午前5時頃木村勢は若江に着陣、午前7時頃に徳川方の井伊直孝は攻撃を決断、木村重成は自身も槍を取って勇戦したが戦死した。いわゆる若江の戦いである。

一方、豊臣方の長宗我部勢は徳川方の藤堂勢を撃退するが木村重成の敗報が届き敵中での孤立を恐れた長宗我部盛親は大坂城へ撤退した。いわゆる八尾の戦いである。これらの八尾・若江の戦いを経て翌日の慶長20年/1615年5月7日、天王寺・岡山の戦いにて豊臣方が敗北。大坂城が陥落し豊臣秀頼は淀殿らとともに自害、豊臣家は滅亡した。