- 彫物題材 feat. 壬申の乱 -
- 2016/12/16 -



(上記写真は岡田西組やぐら・大屋根縁葛正面)



壬申の乱(天武天皇元年/672年6月24日-7月23日・大海人皇子 vs 大友皇子)

660年代後半、都を近江宮へ移していた天智天皇が崩御し大友皇子が後を継ぐが24歳とまだ若く、吉野宮にいた大海人皇子が伊勢神宮を参拝した後、美濃・伊勢・伊賀・熊野やその他の豪族の信を得、反旗をひるがえした。一方、近江宮の軍は指導部の足並みの乱れから前進が滞った。7月22日に瀬田橋の戦い(滋賀県大津市唐橋町)で近江宮軍が大敗、翌7月23日に大友皇子が首を吊って自決し乱は収束。翌天武天皇2年/673年2月、大海人皇子は飛鳥浄御原宮を造って第40代天武天皇に即位した。名称の由来は天武天皇元年が干支で壬申(ミズノエサル)にちなみ、古代日本最大の内乱と伝わる。