- 彫物題材 feat. 日本武尊 悪魚退治 -
- 2017/4/15 -



(上記写真は岡田西組やぐら・小屋根縁葛右面)



日本武尊 悪魚退治(景行天皇23年・日本武尊)

日本武尊(ヤマトタケルノミコト・景行天皇2年-43年)が熊襲討伐後、吉備の穴海に到達した時に船を飲み込む悪魚が出るとの話を聞き、日本武尊はこれを倒そうとしばらくこの地にとどまりました。その時に、その土地の豪族の長:吉備武彦命の妹、吉備穴戸媛を妃として寵愛し遂に彼女は妊娠したそうです。そして日本武尊は悪魚退治に向かうが一度は逃げられます。その後、日本武尊は今度は逃がさない様に船の先に焼け炭をつけて退治に向かいました。すると大魚はこの船を飲み込んでしまい、焼き炭で喉を焼き弱ったところを周りの船が攻撃、やっと力尽きたそうです。船と一緒に飲み込まれた他の兵士は魚の毒気でふらふらになっているのに日本武尊は一人元気に魚の腹の中にいて、魚体を裂いて出て来たそうです。そこへ童子が瓶に水を入れて日本武尊に献上、この水を兵士に飲ませた処みんなはたちまち回復したので「八十甦水」と名づけました。この出来事の後、吉備穴戸媛は男子を出産、この子が武殻王で日本武尊は武殻王の誕生を大変喜び、大魚退治の功績をこの息子に譲り彼にこの土地を守らせた言われています。