- 彫物題材 feat. 曾我兄弟の仇討ち -
- 2019/2/20 -



(上記写真は先代・箱作東やぐら・小屋根桝合右面)



曾我兄弟の仇討ち(建久4年/1193年5月28日・
                         曾我十郎祐成・曾我五郎時致 vs 工藤祐経)

安元2年/1176年10月、所領争いで工藤祐経は郎党の大見小藤太と八幡三郎に待ち伏せさせ、伊東祐親の嫡男:河津祐泰を暗殺した。河津祐泰の妻:満江御前は曾我祐信と再婚、子供の一萬丸(後の曾我十郎祐成)と箱王丸(後の曾我五郎時致)も曾我の元で暮らした。その後、治承・寿永の乱で伊東祐親は自害するが工藤祐経は源頼朝の寵臣となった。

建久4年/1193年5月、源頼朝は富士で盛大な巻狩を開催、巻狩には工藤祐経も参加していた。最後の夜の5月28日、曾我兄弟は工藤祐経の寝所に押し入り酒に酔って遊女と寝ていた工藤祐経を起こして暗殺、騒ぎを聞いた仁田忠常によって兄の曾我十郎祐成は殺害された。翌5月29日、弟の曾我五郎時致は源頼朝の前で仇討ちに至った経緯を話し源頼朝は助命を考えたが、工藤祐経の遺児:犬房丸に請われて斬首を申し渡した。

これら曾我兄弟の仇討ちは赤穂浪士の討ち入り、伊賀越えの仇討ちに並ぶ日本三大仇討ちの一つである。