- 彫物題材 feat. 半田寺山 -
- 2019/6/16 -



(上記写真は陸宮本やぐら・小屋根幕板左面)



半田寺山(慶長20年/1615年5月1日・後藤又兵衛 vs 徳川家康)

平野の地雷火にあい南へと逃げ出した徳川家康だったが藪の中から突如真田幸村が現れ徳川家康は急いで逃げた。しかし馬がつぶれ徒歩で逃げようとするが74歳の徳川家康ゆえ歩けなくなり横田甚五郎が林の中の寺から亡者駕篭を見つけてきて徳川家康はその中へ入った。旗本が亡者駕篭を担ぎ半田寺山でひと休みしていた時、後藤又兵衛と出くわした。徳川家康が乗る亡者駕篭を後藤又兵衛は名槍日本号で突き徳川家康は亡くなってしまった。驚いた旗本は徳川家康の亡骸を堺の南宗寺まで運び隠密裏に埋葬、南光坊天海を徳川家康の影武者に仕立てて再び大坂城を攻めた。徳川家康の遺体は秘かに日光東照宮へ運ばれ葬られたという伝説があり、南宗寺の境内には徳川家康の墓まであります。