- 彫物画廊 feat. 先代・自然田上東組 #.2 -
- 2015/4/25 -






前回に引き続き「彫物画廊」と題して先代・自然田上東組の彫物を御紹介しようと思います。今日は先代・自然田上東組のやぐらの大屋根幕板左面の題材である「加藤清正 新納武蔵守の血戦」を御紹介しようと思います。その前に「加藤清正 新納武蔵守の血戦」の題材について。



加藤清正 新納武蔵守の血戦(天正15年/1587年・加藤清正 vs 新納武蔵守忠元)

九州を代表する二大勢力である大友氏と島津氏が国盗り合戦に明け暮れる中、次第に島津氏が勢いを増してきたので大友宗麟は豊臣秀吉に九州平定を考え救援を願い出ました。そして天正15年/1587年、豊臣秀吉は20万の軍を率いて九州に攻め入りました。

この合戦で島津軍の新納武蔵守忠元と豊臣秀吉軍の加藤清正の一騎打ちが始まりました。その戦いの最中、新納武蔵守忠元は自慢の棍棒を謝って手から落としてしまい、馬と共々に倒れ込んでしまいました。その時、加藤清正は勇猛かつ知将である新納武蔵守忠元をこの様な形で討つのは惜しいと考え、「再び今度馬を乗り換え戦おう」と温情を見せて引き返したと言われています。

俗に天正14年/1586年7月から天正15年/1587年4月にかけて行われた一連の戦を九州征伐・九州平定・九州攻め・九州の役・島津攻め等の名称で呼ばれることもある。結局、島津義久は豊臣秀吉に降伏し、豊臣秀吉は九州を平定した。



彫物画廊 feat. 先代・自然田上東組 #.2 (彫物画廊通算 #.102)
   彫物題材:加藤清正 新納武蔵守の血戦 / 大屋根幕板左面