- 彫物画廊 feat. 先代・岬連中 #.1 -
- 2015/5/16 -






先日、先代・岬連中のやぐらを拝見し、未だに興奮冷めやらぬ管理人です。そこで今日から4日間連続で「彫物画廊」と題して先週日曜日の5月10日(日)に撮影した先代・岬連中のやぐらの彫物を御紹介します。まず今日は大屋根幕板右面の題材である「川中島 武田陣に単騎斬り込む謙信」を御紹介します。その前にまずは「川中島 武田陣に単騎斬り込む謙信」の題材について。



川中島 武田陣に単騎斬り込む謙信(永禄4年/1561年9月10日・武田信玄 vs 上杉謙信)

川中島の合戦とは、信州信濃国に流れる千曲川と犀川の間にある川中島において、武田信玄と上杉謙信との間において天文22年(1553年)、弘治元年(1555年)、弘治3年(1557年)、永禄4年(1561年)、永禄7年(1564年)と12年間に前後5回の対戦が行われたが4回目を除き、両軍による大規模な戦はなかった。最も激しかったのが4回目の戦いであり、一般的には川中島合戦と言えば、この4回目を指すのである。

永禄4年(1561年)9月9日深夜、武田信玄は通称「啄木鳥の戦法」により約半数の12,000の別働隊によって妻女山を夜襲する。しかし、それを察した上杉謙信は深夜、全軍に山を下ろさせ千曲川を「鞭声粛々と夜河を通り」川中島に至ったのである。対する武田信玄は、未明に広瀬の渡しを越え、敗走してくる上杉謙信を迎撃するために八幡原へと出ていた。翌9月10日明け方、霧深い川中島八幡原から霧が晴れ始め、日が昇った暁に見る武田信玄の眼前には妻女山にあるはずの上杉謙信の姿があった。これより川中島において双方壮絶な大合戦が始まったのである。

兵力半分の武田信玄に対し、上杉謙信は全軍による「車懸りの陣」で奮戦した。前半戦は上杉謙信が有利であったが、妻女山へ向かってた武田信玄の別働隊が参戦すると形勢は一気に逆転し、「鶴翼の陣」で挟撃し、両者とも多数の犠牲を出し、上杉謙信は善光寺へと敗走し、かろうじて潰滅をまぬがれたというのである。



彫物画廊 feat. 先代・岬連中 #.1 (彫物画廊通算 #.105)
   彫物題材:川中島 武田陣に単騎斬り込む謙信 / 大屋根幕板右面