- 彫物画廊 feat. 和泉鳥取 #.19 -
- 2015/6/10 -






前回に引き続き「彫物画廊」と題して和泉鳥取の彫物を御紹介しようと思います。今日は和泉鳥取のやぐらの大屋根板勾欄左面の題材である「七人真田」を御紹介しようと思います。その前に「七人真田」の題材について。



七人真田(元和元年/1615年5月7日・徳川家康 vs 真田幸村)

徳川家康は豊臣秀頼に大地震で倒れた京都の方広寺を立て直させた際、その鐘に貼り付けた文字に「国家安康」とあったのを家康の名を二つに切って呪うのだと言いがかりを付けて豊臣氏を攻めました。いわゆる方広寺鐘銘事件です。

この事件をきっかけに慶長19年/1614年12月、大坂冬の陣が勃発、双方激しい戦の末に和議を結び、大坂城の外堀を埋める約束であったが外堀だけでなく内堀までわざと埋めてしまい、大坂城は裸同然になりました。いわゆる「大坂冬の陣」です。

元和元年/1615年5月7日、二度目の戦が勃発。いわゆる大坂夏の陣である。裸同然となった大坂城は同日の深夜に陥落、豊臣秀頼は淀殿らとともに自害、豊臣家は滅亡した。

その際、真田幸村は神出鬼没に徳川家康を追い詰めた。実は真田幸村には七人の影武者がおり、それを知らない徳川家康は複数の戦場から伝わる真田幸村の報せを聞き、恐れおののいたと伝えられる。



彫物画廊 feat. 和泉鳥取 #.19 (彫物画廊通算 #.114)
   彫物題材:七人真田 / 大屋根板勾欄左面