- 彫物画廊 feat. 自然田上東組 #.9 -
- 2015/6/17 -






今週から「彫物画廊」と題して昨年11月30日(日)の自然田上東組やぐら見学会の際に撮影した彫物を再び御紹介します。まず今日は小屋根桝合正面の題材である「自然居士」を御紹介します。その前にまずは「自然居士」の題材について。



自然居士(宝治元年/1247年1月15日〜延慶2年/1309年3月11日)

自然居士は宝治元年(1247)1月15日、和泉国日根郡自然田村の庄屋、山本三太夫家に生まれ、この地が生家屋敷跡です。自然居士と称したのは当地の出身であるためと伝えられています。

幼少のころより後英且つ強記であった居士は、建治2年(1276)学問習得のため奈良興福寺に入り、その後、弘安4年(1281)からは京都東福寺の無関普門禅寺(ムカンフモンゼンジ)(大明国師・ダイミンコクシ)に師事し塔頭龍吟庵(タッチュウリュウギンアン)で研鑽を重ね、説法によって得た浄財により東福寺境内に雲居士(ウンコジ)を造営し住僧となりました。

師の入寂後、諸国を行脚し説法に明け説法に暮れる生活を送りましたが、延慶2年(1309)3月11日、京都福田寺(フクデンジ)にて入寂されました。居士の墓碑は、福田寺及び東福寺即宗院に建立されています。

謡曲「自然居士」は、居士が雲居寺造営のための寄進を募る説法の場に現れた、父母の供養のために我が身を売り小袖を寄進した少女を、連れ去った人商人から苦難の末連れ戻すまでの伝承を主題としたものです。

「自然居士旧跡」を標示する石碑は、江戸末期に同村の芝野龍造が書いたものです。

また、居士を祀る祠の拝殿は、明治42年(1909)玉田神社(山本宮)が鳥取神社に合祀された際、移築されたもので平成21年1月15日、自然居士入寂七百年祭が行われました。

彫物は、晩年の自然居士が大銀杏のたもとで子供たちと遊ぶ姿をほほえましく見つめている姿が刻まれている。



彫物画廊 feat. 自然田上東組 #.9 (彫物画廊通算 #.116)
   彫物題材:自然居士 / 小屋根桝合正面