- 彫物画廊 feat. 大西町 #.16 -
- 2016/2/24 -






今週から「彫物画廊」と題して大西町の彫物を再び御紹介します。まず今日は小屋根欄間右面の題材である「真田大助 初陣」を御紹介します。その前にまずは「真田大助 初陣」の題材について。



大坂夏の陣(慶長20年/1615年5月7日・徳川家康 vs 豊臣秀頼)

徳川家康は豊臣秀頼に大地震で倒れた京都の方広寺を立て直させた際、その鐘に貼り付けた文字に「国家安康」とあったのを家康の名を二つに切って呪うのだと言いがかりを付けて豊臣氏を攻めました。いわゆる方広寺鐘銘事件です。この事件をきっかけに慶長19年/1614年12月、大坂冬の陣が勃発、双方激しい戦の末に和議を結び、大坂城の外堀を埋める約束であったが外堀だけでなく内堀までわざと埋めてしまい、大坂城は裸同然になりました。いわゆる「大坂冬の陣」です。慶長20年/1615年5月7日、二度目の戦が勃発。いわゆる「大坂夏の陣」である。裸同然となった大坂城は同日の深夜に陥落、豊臣秀頼は淀殿らとともに自害、豊臣家は滅亡した。

真田大助は真田幸村の嫡男で大坂夏の陣で道明寺の戦いに出陣、大坂城落城時に豊臣秀頼の切腹に殉じた。享年については諸説あるが13歳から16歳と若かった。



彫物画廊 feat. 大西町 #.16 (彫物画廊通算 #.158)
   彫物題材:真田大助 初陣 / 小屋根欄間右面