- 彫物画廊 feat. 自然田上東組 #.27 -
- 2016/4/30 -






平成26年12月6日より御紹介してきました自然田上東組の「彫物画廊」ですが今回が最終回になります。言い換えれば自然田上東組の素晴らしい彫物の魅力を1年5ヶ月の歳月をかけて全て御紹介しました。 \(^o^)/

と、言いますのも実は平成26年11月30日に行われた自然田上東組やぐら見学会、私たちやぐらサイト管理人が「一度ゆっくりと撮影する機会を設けて下さい」と我が儘言ったのを自然田上東組関係者様方が実現して下さったのです。本当に嬉しかったです。その御礼の意味を込めて一日も早く自然田上東組の全彫物を御紹介しようと心に決めており本日、やっとその念願を果たせました。彫物画廊にて【全制覇】したのは和泉鳥取に続いて2台目です。

最終回の今日は自然田上東組のやぐらの大屋根板勾欄後面の題材である「屋島扇の的」を御紹介します。その前にまずは「屋島の戦い」の題材について。



屋島の戦い(寿永4年/1185年2月19日・源義経 vs 平宗盛)

寿永2年/1183年7月、源義仲に敗れた平氏は讃岐国屋島(現高松市)に本拠を置くことができた。寿永3年/1184年1月20日の宇治川の戦いで源義仲は滅び、その間に平氏は源義仲に奪われた失地を回復し摂津国福原まで進出するが一ノ谷の戦いで源範頼,源義経に攻められて大敗を喫する。平氏は屋島に内裏を置いて本拠とし休戦が続いた。そして寿永4年/1185年2月19日、源義経は平家を奇襲。平氏軍は狼狽し、内裏を捨て檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出した。治承・寿永の乱の戦いの一つである。

その際、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発する。外せば源氏の名折れになると言い源義経は那須与一を推薦、那須与一もこれを引き受ける。那須与一は海に馬を乗り入れ弓を構え鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜いた。いわゆる「平家物語」の名場面である「那須与一 扇の的」である。



彫物画廊 feat. 自然田上東組 #.27 (彫物画廊通算 #.181)
   彫物題材:屋島扇の的 / 大屋根板勾欄後面















































末尾ながら自然田上東組関係者様方、本当にありがとうございました。私の拙い写真ゆえに彫物の素晴らしさを伝えきれているのか? 疑問符が付きますが少しでも自然田上東組の彫物の迫力をお伝えできたなら管理人冥利に尽きるかと思います。ともあれ改めて御礼申し上げます。 m(__)m