- 彫物画廊 feat. 大西町 #.25 -
- 2016/6/22 -






平成24年12月25日より御紹介してきました大西町の「彫物画廊」ですが今回が最終回になります。言い換えれば大西町の素晴らしい彫物の魅力を3年6ヶ月の歳月をかけて全て御紹介しました。 \(^o^)/

と、言いますのも以前から何度も同じ書き込みをしますが平成23年の大西町やぐら新調に際し、大西町新調委員さんの特別の計らいで新調過程の色々な工程に足を運ばせて頂き他町ながら自町の様な親しみを感じる大西町。今でも祭り等で大西町関係者様よりお声を掛けて頂きありがたい限りです。その御礼の意味を込めて一日も早く大西町の全彫物を御紹介しようと心に決めており本日、やっとその念願を果たせました。彫物画廊にて【全制覇】したのは和泉鳥取,自然田上東組に続いて3台目です。

最終回の今日は大西町のやぐらの大屋根縁葛正面の題材である「高松城水攻め」を御紹介します。その前にまずは「備中高松城の戦い」の題材について。



備中高松城の戦い(天正10年/1582年4月15日-6月4日・羽柴秀吉 vs 清水宗治)

天正10年/1582年4月15日、織田信長の命を受けた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は毛利氏配下の清水宗治が守備する備中国高松城(岡山市北区高松)を攻略するが敗退。低湿地にある沼城という立地条件を逆手に利用し堤防を築き、高松城は孤島と化してしまった。いわゆる「高松城水攻め」である。その様な中、本能寺の変が起こり織田信長が亡くなる。その報を聞いた羽柴秀吉はただちに毛利方と和睦を結んで清水宗治の切腹を見届けた後、明智光秀を討つために軍を京へ引き返した。いわゆる「中国大返し」である。



彫物画廊 feat. 大西町 #.25 (彫物画廊通算 #.194)
   彫物題材:高松城水攻め / 大屋根縁葛正面