- 彫物画廊 feat. 市場 #.7 -
- 2016/12/23 -






先日御紹介した"市場のタオル""信達地区のポスター"に続く「半田さんに捧げる企画」第3弾として今週から「彫物画廊」と題して一昨年5月11日(日)に撮影した市場の彫物を約1年9ヶ月ぶりに再び御紹介します。まず今日は小屋根桝合正面の題材である「神武東征 八咫烏」を御紹介します。その前にまずは「神武東征」の題材について。



神武東征(神武天皇元年/紀元前660年2月11日・神武天皇)

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ・日本書記では神日本磐余彦尊・カムヤマトイワレヒコノミコト)は兄の五瀬命(イツセ)とともに日向(現:宮崎県)の高千穂にて葦原中国を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにした。その際、八咫烏は道案内を務めたと言われている。浪速国の白肩津(現:大阪府東大阪市付近)にてナガスネヒコの軍勢と戦いになり、咫烏が相手の弓の先にとまり、光り輝きナガスネヒコ軍は眩惑され戦闘不能になった。一方、ナガスネヒコの矢が五瀬命に命中した。五瀬命は「我々は日の神の御子だから日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」と言い、紀伊半島を南の方へ回り込む最中の紀国の男之水門にて五瀬命は亡くなった。

神倭伊波礼毘古命は紀伊半島を南下、熊野〜宇陀〜橿原を経由し辛酉の歳(神武天皇元年)の正月(太陽暦では紀元前660年2月11日)、橿原宮にて即位し始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)と称した。52歳だった。初代天皇であり天皇家の祖とされている。神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされている。



彫物画廊 feat. 市場 #.7 (彫物画廊通算 #.221)
   彫物題材:神武東征 八咫烏 / 小屋根桝合正面