- 彫物画廊 feat. 先代・自然田東組 #.13 -
- 2017/2/25 -






今回から「彫物画廊」と題して昨年1月24日(日)に撮影した先代・自然田東組の彫物を約3ヶ月ぶりに再び御紹介します。まず今日は小屋根板欄間右面の題材である「鎮西八郎為朝の強弓」を御紹介します。その前にまずは「保元の乱」の題材について。



保元の乱(保元元年/1156年7月11日・後白河天皇 vs 崇徳上皇)

保元元年/1156年7月11日、鳥羽法皇死後の皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂、それに藤原忠通・藤原頼長兄弟も加担し争った政変です。両軍とも源氏・平氏の武士を集めて京都で戦いました。この時、源義朝や平清盛も後白河天皇方で活躍、後に中央政界に進出するきっかけとなりました。

保元の乱の武将の中で源為朝(別名:鎮西八郎為朝・保延5年/1139年−嘉応2年/1170年4月6日)は平安時代末期の武将で源為義の八男。身長2mを超える巨体で気性が荒く、剛弓の使い手だった。保元の乱(保元元年/1156年7月)において父:源為義とともに崇徳上皇方に参加するが敗れ、伊豆大島へ流刑される。しかしそこでも伊豆国領主 狩野茂光の率いる軍に攻められ自刃した。享年31歳。



彫物画廊 feat. 先代・自然田東組 #.13 (彫物画廊通算 #.238)
   彫物題材:鎮西八郎為朝の強弓 / 小屋根欄間右面