- 彫物画廊 feat. 男里南組 #.18 -
- 2017/6/3 -






今回から「彫物画廊」と題して6年前の平成23年5月5日(木)に撮影した男里南組の彫物を約4ヶ月ぶりに再び御紹介します。まず今日は大屋根板勾欄右面の題材である「風雲桶狭間 今川義元の最期」を御紹介します。その前にまずは「桶狭間の戦い」の題材について。



桶狭間の戦い(永禄3年/1560年5月19日・織田信長 vs 今川義元)

永禄3年/1560年5月、尾張に侵攻する今川義元の大軍を前に織田信長の重臣達は「篭城すべし」と主張するが織田信長は明確な作戦を指示しなかった。一方、各所に配した密偵に今川義元の動きを逐一、報告されていた。

そんな中5月19日未明、今川勢が織田方の丸根砦、鷲津砦に攻めかかったと言う急報を受けた織田信長は出陣を号令する。今川義元の前線基地である大高城へ入るには桶狭間と言う細長い窪地を通らなければならなかった。その際、列隊は伸びきった時に攻める策だった。

すると密偵より「今川義元は田楽狭間にて、小休止中です」と報じてきました。この時織田信長の頭の中には、いかに敵の目をかわしながら早く到達するかと言う思いしかなかった。その時、突然豪雨が降りしきり、一時的に織田信長軍を秘匿してくれたのだった。織田信長軍が桶狭間山の山頂に着いた時、「かかれ!」の号令がかかり、今川義元本陣めがけて攻撃した。今川義元本陣は、突然の敵襲にあわてふためき、崩壊した。



彫物画廊 feat. 男里南組 #.18 (彫物画廊通算 #.266)
   彫物題材:風雲桶狭間 今川義元の最期 / 大屋根板勾欄右面