- 彫物画廊 feat. 大苗代 #.25 -
- 2018/6/23 -






前回に引き続き「彫物画廊」と題して大苗代の彫物を御紹介します。今日は小屋根板勾欄左面の題材である「義経弓流し」を御紹介します。その前にまずは「屋島の戦い」の題材について。



屋島の戦い(寿永4年/1185年2月19日・源義経 vs 平宗盛)

寿永2年/1183年7月、源義仲に敗れた平氏は讃岐国屋島(現高松市)に本拠を置くことができた。寿永3年/1184年1月20日の宇治川の戦いで源義仲は滅び、その間に平氏は源義仲に奪われた失地を回復し摂津国福原まで進出するが一ノ谷の戦いで源範頼,源義経に攻められて大敗を喫する。平氏は屋島に内裏を置いて本拠とし休戦が続いた。そして寿永4年/1185年2月19日、源義経は平家を奇襲。平氏軍は狼狽し、内裏を捨て檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出した。治承・寿永の乱の戦いの一つである。

その際、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発する。外せば源氏の名折れになると言い源義経は那須与一を推薦、那須与一もこれを引き受ける。那須与一は海に馬を乗り入れ弓を構え鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜いた。いわゆる「平家物語」の名場面である「那須与一 扇の的」である。

また源義経は自らの弓を誤って海に流してしまい「源氏の大将がこの様な弱い弓を使っている事を平氏に知られれば末代までの恥だ」と言い、敵がいる沖まで行き弓を拾ってきました。いわゆる「源義経 弓流し」である。



彫物画廊 feat. 大苗代 #.25 (彫物画廊通算 #.353)
   彫物題材:義経弓流し / 小屋根板勾欄左面