- 彫物画廊 feat. 先代・箱作東 #.6 -
- 2019/2/27 -






前回に引き続き「彫物画廊」と題して先代・箱作東の彫物を御紹介します。今日は小屋根桝合左面の題材である「新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず」を御紹介します。その前にまずは「新田義貞 稲村ヶ崎投剣の場」の題材について。



新田義貞 稲村ヶ崎投剣の場(元弘3年/1333年)

新田義貞(ニッタヨシサダ)は鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した御家人である。元弘3年/1333年、後醍醐天皇の呼びかけに応え鎌倉幕府討伐のため挙兵。進撃する途中に各地から呼応した兵士が集まり軍勢の規模は膨大なものとなった。鎌倉街道を進み、入間川を渡り小手指(埼玉県所沢市)において桜田貞国の幕府軍を撃破、さらに霞の関(東京都多摩市)で北条泰家の幕府軍と対戦して大勝利を収める。藤沢(神奈川県藤沢市)まで兵を進めた新田軍は、鎌倉に進攻するため部隊を3つに分けて、三方から攻めるがいずれも失敗した。

その際、大仏貞直の守る極楽寺切通しの守りが固く、さらに海岸は北条方の船団が固めていたため進撃は不可能と思われた。そこで稲村ヶ崎に立った義貞が、黄金造りの太刀を海に投げ、竜神に祈願すると潮が引いて干潟が現れ強行突破が可能になった。



彫物画廊 feat. 先代・箱作東 #.6 (彫物画廊通算 #.396)
   彫物題材:新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず / 小屋根桝合左面