- 彫物画廊 feat. 陸宮本 #.32 -
- 2019/6/1 -






前回に引き続き「彫物画廊」と題して陸宮本の彫物を御紹介します。今日は大屋根幕板左面の題材である「熊谷直実 敦盛呼び戻す」を御紹介します。大屋根幕板左面は以前、コンデジで撮影した画像を御紹介済ですが一眼レフカメラで撮影した画像を改めて御紹介しようと思います。その前にまずは「一ノ谷の戦い」の題材について。



一ノ谷の戦い(寿永3年/1184年2月7日・源範頼・源義経 vs 平敦盛)

寿永3年/1184年2月7日、源義経軍は一ノ谷へ向け出陣、鵯越(ヒヨドリゴエ)に兵を進めた。しかしながら鵯越は人馬が駆け下りる事は不可能な岸壁の頂上であった。しかし源義経は自分を手本にしろと言い、先頭をきって岸壁を駆け下りた。いわゆる「鵯越の逆落とし(ヒヨドリゴエノサカオトシ)」である。既に源範頼軍と戦っていた平家に岸壁から駆け下りてきた源義経軍が加わった。

源範頼軍と源義経軍に追われて逃げ惑う平家は海辺へと敗走しはじめ、沖の船を目指して馬を海に入れて逃げ行った。それを見た源氏方の熊谷直実は「敵に後ろをお見せになるのか。戻られよ」と呼び戻した。すると馬上の武者は馬を返し渚に上がろうとしたところを熊谷直実に組み伏せられてしまう。いわゆる「敦盛呼び戻す熊谷直実」である。

熊谷直実が武者の兜をとり顔をみると薄化粧をした、歳のころは我が子と変わらぬ美しい少年であった。熊谷直実が「名乗られよ、お助けいたす」と尋ねるが名乗らずに「首を取って誰かに問えば知っている者がいるであろう」と答える。熊谷直実は見逃す事も考えたが、背後より土肥・梶原の軍勢が迫っており、同じ事ならいっそ我が手でと泣く泣くその少年の首を取った。

少年の腰には青葉の笛があり後に平経盛の子、平敦盛だと知る。やがて平敦盛を討ったことに対する慙愧の念と世の無常を感じていた熊谷直実は出家し法然上人の下で平敦盛の事を弔ったと言う。



彫物画廊 feat. 陸宮本 #.32 (彫物画廊通算 #.411)
   彫物題材:熊谷直実 敦盛呼び戻す / 大屋根幕板左面