- 彫物画廊 feat. 陸宮本 #.34 -
- 2019/6/16 -






平成28年6月29日(コンデジ時代の#.1から#.4を除く)より御紹介してきました陸宮本の「彫物画廊」ですが今回が最終回になります。言い換えれば陸宮本の素晴らしい彫物の魅力を約2年11ヶ月の歳月をかけて全て御紹介しました。 \(^o^)/ 実は大屋根縁葛三面は本幕が付いているのでまだ未撮影なんですが…。 (^^ゞ汗 ともあれ彫物画廊にて【全制覇】したのは和泉鳥取,自然田上東組,大西町,岡田西組,男里南組,岡田北組,先代・自然田東組,北野,大苗代,市場に続いて11台目です。

最終回の今回は小屋根幕板左面の題材である「半田寺山」を御紹介します。小屋根幕板左面は以前、コンデジで撮影した画像を御紹介済ですが一眼レフカメラで撮影した画像を改めて御紹介しようと思います。その前にまずは「半田寺山」の題材について。



半田寺山(慶長20年/1615年5月1日・後藤又兵衛 vs 徳川家康)

平野の地雷火にあい南へと逃げ出した徳川家康だったが藪の中から突如真田幸村が現れ徳川家康は急いで逃げた。しかし馬がつぶれ徒歩で逃げようとするが74歳の徳川家康ゆえ歩けなくなり横田甚五郎が林の中の寺から亡者駕篭を見つけてきて徳川家康はその中へ入った。旗本が亡者駕篭を担ぎ半田寺山でひと休みしていた時、後藤又兵衛と出くわした。徳川家康が乗る亡者駕篭を後藤又兵衛は名槍日本号で突き徳川家康は亡くなってしまった。驚いた旗本は徳川家康の亡骸を堺の南宗寺まで運び隠密裏に埋葬、南光坊天海を徳川家康の影武者に仕立てて再び大坂城を攻めた。徳川家康の遺体は秘かに日光東照宮へ運ばれ葬られたという伝説があり、南宗寺の境内には徳川家康の墓まであります。



彫物画廊 feat. 陸宮本 #.34 (彫物画廊通算 #.413)
   彫物題材:半田寺山 / 小屋根幕板左面