- 彫物画廊 feat. 自然田東組 #.48 -
- 2021/3/21 -






平成30年10月24日より御紹介してきました自然田東組の「彫物画廊」ですが今回が最終回になります。言い換えれば自然田東組の素晴らしい彫物の魅力を約2年5ヶ月の歳月をかけて全て御紹介しました。 \(^o^)/ ともあれ彫物画廊にて【全制覇】したのは和泉鳥取,自然田上東組,大西町,岡田西組,男里南組,岡田北組,先代・自然田東組,北野,大苗代,市場,陸宮本,先代・自然田上組,先代・淡輪連中に続いて14台目です。

最終回の今回は小屋根幕板左面の題材である「屋島合戦 継信最後」を御紹介します。その前にまずは「屋島の戦い」の題材について。



屋島の戦い(寿永4年/1185年2月19日・源義経 vs 平宗盛)

寿永2年/1183年7月、源義仲に敗れた平氏は讃岐国屋島(現高松市)に本拠を置くことができた。寿永3年/1184年1月20日の宇治川の戦いで源義仲は滅び、その間に平氏は源義仲に奪われた失地を回復し摂津国福原まで進出するが一ノ谷の戦いで源範頼,源義経に攻められて大敗を喫する。平氏は屋島に内裏を置いて本拠とし休戦が続いた。そして寿永4年/1185年2月19日、源義経は平家を奇襲。平氏軍は狼狽し、内裏を捨て檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出した。治承・寿永の乱の戦いの一つである。

その際、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発する。外せば源氏の名折れになると言い源義経は那須与一を推薦、那須与一もこれを引き受ける。那須与一は海に馬を乗り入れ弓を構え鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜いた。いわゆる「平家物語」の名場面である「那須与一 扇の的」である。

また源義経は自らの弓を誤って海に流してしまい「源氏の大将がこの様な弱い弓を使っている事を平氏に知られれば末代までの恥だ」と言い、敵がいる沖まで行き弓を拾ってきました。いわゆる「源義経 弓流し」である。



彫物画廊 feat. 自然田東組 #.48 (彫物画廊通算 #.481)
   彫物題材:屋島合戦 継信最後 / 小屋根幕板左面