- 地車紹介 feat. 下出 -
- 2007/11/10 -






下出 (しもいで・東鳥取四地区)
 ・新調:昭和61年 (同年9月7日入魂式)
 ・大工:吉岡利一氏
 ・彫師:木下頼定氏
 ・彫物:下記「彫物図柄解説」参照
 ・本幕:不明
 ・宮入:波太神社

◎ 地名「下出」の由来
この地付近の男里川一体を男里村と言い、下出は男里川の下側(下手)に位置していたので下手村、または下手地区と呼ばれていましたが、そこから段々と変わっていき現在の下出と呼ばれるようになりました。また昔は下出の事を大南組と呼ばれており、男里南組よりも南だからこう呼ばれていたと言われています。鎮守の八坂神社は明治41年に鳥取神社に合祀されています。しかしながら戦前までは八坂神社の社はあったらしいですが、現在では既に社はなく民家になっています。

◎ 先々代のやぐら
やぐらに関しては東鳥取村誌によれば昔は村が大きいのでやぐらも3台あったと伝えられている。往古は上組・下組の2台のやぐらがありその後1台に統合、先々代の下出のやぐらはひっくり返りゲンが悪いと言う事で売却。

◎ 先代のやぐら
先代のやぐらは大正12年に新調、しかしながらやぐらを曳く気運がなくなったため昭和38年に下出在住の個人にやぐらと極楽寺の仏像を付けて2万円で売却、その後しばらくやぐらはなく、祭りの日には下出地区だけ運動会をやっていたらしいです。

◎ 現在のやぐら
現在のやぐらは昭和38年のやぐら売却後23年ぶりに昭和61年に大工:吉岡利一氏、彫師:木下頼定氏によって新調、同年9月7日日曜日に波太神社にて入魂式を挙行しました。また下出のやぐらの彫り物は太閤記・根来合戦記を題材とし、また提灯は白地に赤の文字で「下出」という文字です。平成19年10月28日日曜日に神上式(昇魂の儀)を実施、同日深日1号へ搬出されました。

◎ 新調中のやぐら
平成16年3月14日日曜日に「やぐら新調祭手斧初式」を実施、平成20年に完成予定です。

◎ 彫物図柄解説
【大屋根廻り】
・鬼板 − 獅噛み
・懸魚 − 正面:鳳凰、 後ろ:雲に鶴
・車板 − 正面:柴田勝家 勇力、雲に富士
・枡合 − 正面:牛若 弁慶五条大橋の出会い、 右:新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず、
        左:楠公子別れ 桜井の駅
・欄間 − 左:堀尾茂助 勇力、 右:?
・柱巻 − 左:昇龍、 右:降龍
・幕板 − 左:根来合戦記、 右:?
・脇障子 − 左:阿形の唐獅子、 右:吽形の唐獅子
・兜桁 − 下出
・犬勾欄 − 正面:牡丹に唐獅子
・板勾欄 − 正面:牡丹に唐獅子、 左:倶利伽羅峠の戦い(火牛の計)、 右:?
・縁葛 − 波に千鳥
【小屋根廻り】
・鬼板 − 獅噛み
・懸魚 − 松に鷹
・車板 − 唐子遊び・雪だるま遊び
・枡合 − 正面:児島高徳 櫻木に歌を詠む、 右:曽我十郎、
        左:日吉丸 蜂須賀小六の出合い
・欄間 − 左:根来合戦記、 右:今川義元 討死す
・太鼓周り − 雲に鶴
・幕板 − 左:堀尾茂助 勇戦、 右:木津川口の合戦
・板勾欄 − 梅,松,竹,牡丹
・縁葛 − 吽形の唐獅子

◎ 曳行パターン
・パレードの日 − パレードの日は石田宮本、黒田、鳥取中と合流し4町でパレードに参加、帰りは流れ解散します。
・1日目 − 1日目は午前からところ曳きと波太神社への宮入が、波太神社への宮入は石田宮本、黒田と一緒に曳行します。夜は波太神社や尾崎駅付近で石田宮本、黒田、鳥取中と一緒に曳行します。
・2 日目 − 2日目は午前からところ曳きを、夜は波太神社や尾崎駅付近で石田宮本、黒田、鳥取中と一緒に曳行します。

◎ 下出の略年表
大正12年−先代のやぐらを新調。
昭和38年−先代のやぐらを売却。
昭和61年9月7日日曜日−現在のやぐらを新調、波太神社にて入魂式を実施。
平成2年11月12日月曜日−天皇陛下御即位の礼に伴う記念曳行を実施。
平成5年6月9日水曜日−皇太子殿下御成婚に伴う記念曳行を実施。
平成7年10月11日水曜日−黒田と御神輿担当に当たる。
平成13年10月−四本柱等の修復を実施。
平成15年10月−コマを新調。
平成15年10月13日月曜日−黒田と御神輿担当に当たる。
平成16年3月14日日曜日−やぐら新調祭手斧初式(ちょうなはじめしき)を実施。
平成19年10月28日日曜日−やぐら神上式(かみあげしき)を実施、その後深日1号へ搬出。

◎ 下出関連サイト
・優雅・伝統・秋祭り → http://sazern9.fc2web.com/

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 平成16年3月14日
やぐら新調祭手斧初式を実施。

 平成19年10月28日
やぐら神上式を実施。

 平成19年10月28日
神上式後、深日1号へ搬出。