- 地車紹介 feat. 和泉鳥取 -
- 2008/3/8 -






和泉鳥取 (いずみとっとり・東鳥取五地区)
 ・新調:大正10年
 ・大工:若野寅太郎氏
 ・彫師:西本舟山氏
 ・彫物:下記「彫物図柄解説」参照
 ・本幕:不明
 ・宮入:波太神社

◎ 地名「和泉鳥取」の由来
和泉鳥取の地名の由来は昔、阪南市は鳥取郷"鳥取造(とっとりのみやつこ)"と言う人が治めており、その鳥取と和泉の国の和泉をくっ付けて和泉鳥取になったと言われてます。ちなみに町名では和泉鳥取と言う地名が使われていますが、法被や提灯等いたる処に「新家」って言う地名が用いられています。

◎ 地名「新家」の由来
新家の由来ははっきりとは解りませんが、一説によれば昔、和泉鳥取周辺を「山中新田(やまなかしんでん)」と言ったそうで、その山中新田が土地開発を進め、集落を置いた所が和泉鳥取と言われてます。そしてその山中新田に集落を置く、言い換えると家を建てると言う事で「新家」になったと言われてます。ただし旧東鳥取町時代までは新家と呼ばれていましたが、昭和47年に旧東鳥取町と旧南海町が合併し、阪南町になった際に和泉鳥取と変更しました。ちなみにこの"新家"と言う地名は泉南市にもありますが、泉南市の方は「しんげ」、和泉鳥取は「しんけ」と読みます。

◎ 波太神社伏拝の鳥居について
和泉鳥取のやぐらとは関係ありませんが波太神社伏拝の鳥居について。昔熊野詣でなど街道を経て他国へ参拝する人々が多くなった時代、遠方から波太神社を伏拝する習慣がうまれました。波太神社伏拝の鳥居は当時の波太神社の権威を示すものとして現在でもJR阪和線・和泉鳥取駅裏にその形を残しています。

◎ 先代のやぐら
先代のやぐらは明治期に中古やぐらを購入し組み立てたと言われています。またやぐらも昔は2台あったと言われてます。

◎ 現在のやぐら
現在のやぐらは大正10年に大工:若野寅太郎氏、彫師:西本舟山氏によって新調。その後昭和61年に八割方新調という方法で大修復を施したと言う事です。また和泉鳥取のやぐらの彫り物は川中島の合戦を題材とし、本幕は10年程前に川中島の合戦、竜と虎のデザインに新調、また提灯は白地に赤の文字で「新家」という文字です。

◎ 彫物図柄解説
【大屋根廻り】
・鬼板 − 獅噛み
・柱巻 − 右:降龍、 左:昇龍
・板勾欄 − 波に兎
・縁葛 − 正面:司馬温公 瓶割りの場、 右:?、 左:雪だるま遊び(唐子遊び)
【小屋根廻り】
・鬼板 − 獅噛み

◎ 曳行パターン
・パレード − パレードの日は森下酒店前にて山中渓,自然田上組,自然田飛賀志組,自然田上東組と合流、サークルK阪南鳥取中店前にて石田宮本,黒田,下出,鳥取中と合流し9町でパレードに参加、帰りは山中渓,自然田上組,自然田飛賀志組,自然田上東組と一緒に帰路につきます。
・本宮 − 本祭り1日目は午前からところ曳きと波太神社への宮入が、波太神社への宮入は鳥取中,山中渓と一緒に曳行します。
・後宮 − 本祭り2日目は午前からところ曳きを行います。
・東鳥取五地区パレード − 波太神社宮入の時間によって異なりますが、本宮か後宮に山中渓,自然田上組,自然田飛賀志組,自然田飛賀志組,自然田上東組の5台で、各年持ち回りで和泉鳥取,山中渓,自然田地区をパレードします。
・過去の曳行のエピソード − あともう1つ曳行に関するエピソードが、和泉鳥取のやぐらは戦前までは現在のJR和泉鳥取駅前の道路を通り、鉄橋の下をくぐりぬけ雨山下の紀州街道(琵琶ケ岸懸・びわがけ)を廻り滑石田(なめしだ)で山中渓のやぐらと合流し宮入をしましたが、その後庚申川に橋が掛かり自然田中之場を通り、東鳥取小学校で山中渓と合流し鳥取中と一緒に宮入する事になりました。

◎ 和泉鳥取の略年表
明治時代−先代のやぐらを購入。
大正10年−現在のやぐらを新調。
昭和61年−現在のやぐらを修復。
平成5年6月9日水曜日−皇太子殿下御成婚に伴う記念曳行を実施。
平成8年10月11日金曜日−鳥取中、山中渓と御神輿担当に当たる。
平成16年10月11日月曜日−鳥取中、山中渓と御神輿担当に当たる。
平成18年10月−コマを新調。(10月1日日曜日、やぐら部屋にて御祓いを実施)

◎ 和泉鳥取関連サイト
・阪南市の祭・やぐら → http://yagura.cool.ne.jp
・優雅・伝統・秋祭り → http://sazern9.fc2web.com

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 平成18年10月1日
平成18年10月1日にやぐら部屋前にて駒新調記念御祓いが行われました。