- 地車紹介 feat. 榮組 -
- 2008/5/24 -
● 榮組 (さかえぐみ・西鳥取地区) ・新調:平成2年 (同年9月30日入魂式) ・大工:岡川公一氏,章氏兄弟 ・彫師:木下頼定氏 ・彫物:下記「彫物図柄解説」参照 ・本幕:不明 ・宮入:波太神社 ◎ 地名「鳥取」の由来 鳥取の地名について日本書記には『垂仁天皇の大皇太子誉津別王は30歳になってもモノを言わなかった。垂仁23年10月、鵠(クグイ・白鳥の事)が空を飛ぶのを見て、皇子は初めて「これ何者ぞ?」と言った。これを聞いて天皇は大いに喜び、その鳥を獲えるように臣下に命じ、天湯河板挙が「臣が必ず獲えましょう」と言い、遠く出雲の国まで行ってこの鳥を捕え、そのために皇子はモノを言う様になり、天皇は天湯河板挙に鳥取造の姓を与え賞し、鳥取部と定めた』とある。同様の伝承は古事記にも見られる。この様ないわれのある鳥取には南海電鉄鳥取ノ荘駅があり、駅名から解る様に昔は律令制度が敷かれており、荘園=鳥取ノ荘となった。かつて鳥取地区には北出・南出・出島・西出・東出・上出・本といった町のやぐらが有りましたが、現在では4地区に別れ、鳥取東地区(西鳥取上組),鳥取北地区(榮組),鳥取南地区・鳥取西地区(波有手組)である。 ◎ 先代のやぐら 鳥取北地区である榮組のやぐらは昔は漁師中心の北出と百姓中心の中出の2台のやぐらがありましたが、時期的には不明ですが2台が合併して現在の榮組となりました。その際に2台合併したと言う事で他地区のやぐらより大きめに製作されたと言われてます。その榮組の先代やぐらは明治時代に新調、彫物の題材は大阪夏の陣、欄間は鬼小島弥太郎戦記が彫られています。この先代のやぐらは現在のやぐらが新調された平成2年に解体処分されました。なお先代のやぐらが新調された明治時代に、先々代のやぐらは深日方面に売却されました。 ◎ 現在のやぐら 現在のやぐらは平成2年に大工:岡川公一氏,章氏兄弟、彫師:木下頼定氏によって新調、同年9月30日日曜日に榮組やぐら部屋前の旧西鳥取農協に神主さんに来てもらい入魂式を行いました。また榮組のやぐらの彫り物は先代のやぐらを再現し主に川中島の合戦,大阪夏の陣、欄間は鬼小島弥太郎戦記を題材とし、本幕は上り竜下り竜を刺繍しています。また提灯は白地に赤の文字で「榮組」という文字です。 ◎ 彫物図柄解説 【大屋根廻り】 ・鬼板 − 獅噛み ・懸魚 − 正面:雲に鶴、 後ろ:雲に鷲 ・車板 − 正面:?、 後ろ:雲に鶴 ・欄間 − 右:?、 左:釣鐘弁慶 ・柱巻 − 右:降龍、 左:昇龍 ・小脇板 − 右:素盞嗚尊、 左:櫛名田姫 【素盞嗚尊大蛇退治】 ・脇障子 − 右:新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず、 左:村上義光 錦の御旗奪還 【太平記】 ・兜桁 − 「榮組」の文字 ・犬勾欄 − 唐子 ・縁葛 − 阿吽の唐獅子 【小屋根廻り】 ・鬼板 − 獅噛み ・懸魚 − 鳳凰 ・欄間 − 右:楠公子別れ 桜井の駅、 左:加藤清正 虎退治 ・柱巻 − 右:昇龍、 左:降龍 ・太鼓周り − 源義経 八艘飛び ・幕板 − 右:豊臣秀吉、 左:佐久間玄蕃 【賤ヶ岳の合戦】 ・板勾欄 − 波濤 ・縁葛 − 右:?、 左:波に吽龍 ◎ 曳行パターン ・パレード − パレードの日は鳥取ノ荘駅上に貝掛,箱作東,箱作西,西鳥取上組,波有手組,新町と合流し7町でパレードに参加します。 ・本宮 − 本祭り1日目は午前からところ曳きと阪南市役所前経由で波太神社への宮入が、宮入は貝掛,西鳥取上組,波有手組,新町と一緒に曳行します。夜は西鳥取パレードとして鳥取ノ荘駅付近や新町・安田広場で西鳥取上組,波有手組,新町と一緒に曳行します。 ・後宮 − 本祭り2日目は午前からところ曳きを、夜は鳥取ノ荘駅付近や新町・安田広場で西鳥取上組,波有手組,新町と一緒に曳行します。 ◎ 榮組の略年表 明治時代−先代のやぐらを新調。 平成2年9月30日日曜日−現在のやぐらを新調、榮組のやぐら部屋前にて入魂式を実施。 平成2年11月12日月曜日−天皇陛下御即位の礼に伴う記念曳行を実施。 平成5年6月9日水曜日−皇太子殿下御成婚に伴う記念曳行を実施。 平成10年9月13日日曜日−現在のやぐらの駒を新調、波太神社にて入魂式を実施。 平成11年10月11日月曜日−西鳥取上組、波有手組と御神輿担当に当たる。 平成16年10月−纏を新調。 ◎ 榮組関連サイト ・阪南市の祭・やぐら → http://yagura.fan-site.net ・優雅・伝統・秋祭り → http://sazern9.fc2web.com |
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平成2年9月30日 波太神社にてやぐら新調入魂式を実施。 平成10年9月13日 波太神社にて駒新調記念入魂式を実施。 |