- 地車研究 feat. 戦後七十年 -
- 2015/8/15 -






新シリーズ「地車研究 COLUMN SERIES」をお送りします。実はこの企画、年初来より約半年間考えていた企画なんです。やぐらにまつわるテーマに対して少しコラム的(個人的な分析・意見が含まれている記事)な書き込みをしようと思っていたのです。でも十人十色、賛成もあれば反対もある。以前、掲示板でバッシングを浴び、個人的にもメールで誹謗中傷・恫喝されたりとコラム的な書き込みを控えようと思ってました。でも…、どうしても書き込みたい事もある。故に慎重に「推敲」しながら書き込もうと思います。ただ、何度も言うが管理人個人の私見である事を改めて伝えておきます。



COLUMN 戦後七十年

今日は8月15日。今からちょうど70年前の昭和20年/1945年8月15日、終戦を迎えた。今年は戦後70年の節目の年に当たる。やぐら界では大正時代から昭和初期まで銘やぐらが誕生するが昭和12年,13年新調の馬場を最後にやぐら新調が途絶える。まさに戦時体制でやぐら新調どころではないと思われる。昭和20年に終戦を迎え戦後混乱期で食料もままならぬ中、昭和23年頃に市場(先々代)が、そして昭和26年に獅子講がやぐらを新調している。獅子講のやぐら新調以降、昭和61年の下出(先代)まで35年間やぐらは新調されていない。



▲ 先々代・市場のやぐら(昭和23年頃新調)



▲ 獅子講のやぐら(昭和26年新調)



一方、岸和田旧市では中之濱町が昭和20年7月9日、戦火によりだんじりを失った。長老たちは「戦地で戦う若者に申し訳ない」と嘆いた。だが戦後生活が苦しい中、各戸あたり日掛け10円を2年間積み立て昭和26年に当代だんじりを新調したと言われる。昭和26年の10円と言えば現在の300円前後に相当する。結構な金額である。



▲ 岸和田市・中之濱町のだんじり(昭和26年新調)



市場や獅子講も同様の苦労を重ねてやぐらを新調したと推測される。改めて市場・獅子講の先人達に敬意を表したい。ただ残念ながら市場(先々代)は現存しないが獅子講は今でも現役で活躍中である。先人達が戦後混乱期の生活苦の中で新調したやぐら、獅子講のやぐらは素晴らしいやぐらだと改めて再認識させられた。

戦後70年経ちもうすぐ阪南市内には提燈が飾られ祭りモード一色になる。でも祭りを楽しめるのは平和があってこそ祭りを楽しめる訳であり、月並みな締めくぐりですが戦争と言う過ちは二度と繰り返してはいけないと改めて思いました。



【参考】 昭和時代の新調やぐら
・昭和3年頃/1928年頃 − 先代・岡本(先代・新家の宮)
・昭和6年/1931年 − 貝掛
・昭和6年頃/1931年頃 − 先代・岡中
・昭和7年頃/1932年 − 先代・牧野
・昭和7年か11年/1932年か1936年 − 先代・大苗代
・昭和9年か12年/1934年か1937年 − 金熊寺(先代・北野)
・昭和10年頃/1935年頃 − 童子畑(先代・鳥取中→先代・男里南組)
・昭和11年/1936年 − 岡本(先代・尾崎宮本町)
・昭和12年,13年/1937年,1938年 − 馬場
・昭和23年頃/1948年 − 先々代・市場
・昭和26年/1951年 − 獅子講
・昭和61年/1986年 − 深日一号(先代・下出)
・昭和63年/1988年 − 箱作西