- 地車研究 feat. 東日本大震災五年 -
- 2016/3/11 -






久しぶりに「地車研究 COLUMN SERIES」をお送りします。先に伝えますがこの企画はコラム的(個人的な分析・意見が含まれている記事)な側面の強い企画かと思います。ゆえに人間十人十色、賛成もあれば反対もある。以前、掲示板でバッシングを浴び、個人的にもメールで誹謗中傷・恫喝されたりとコラム的な書き込みにはかなり躊躇してしまいがちですが慎重に「推敲」しながら私なりの考え方を少しでも皆様にお伝えできればと思います。ただ、何度も言うが管理人個人の私見である事を改めて伝えておきます。



COLUMN 東日本大震災五年

平成23年3月11日金曜日14時46分18秒に発生した東日本大震災から今日で早くも5年が経過した。死者・行方不明者は合せて18,457人。私はその日は仕事でしたがお客様が「地震!津波!」と興奮気味に話してた事はいまだに脳裏に刻まれています。私自身も阪神大震災の揺れを経験した人間なので自身の怖さは身を持って経験しています。

震災発生当初は色々な方々がボランティアに参加されたと聞くが当時の私が一番気になったニュースは津波にさらわれた写真等を回収し乾燥させ、持ち主の手元へ返すボランティアの姿。中には故人となってしまった方の写真もあるかも知れません。心の中の思い出も大切ですが写真と言った形で思い出に残すのはもっと大切かと思います。写真好きの私にとって最も印象深いニュースでした。





一方、やぐらに眼を向けるとこの5年間で泉州地域51台のやぐらの中、男里南組・大西町・自然田上東組・和泉鳥取・岡田西組と5台ものやぐらが新調されました。5台のやぐらが新調されたと言う事は5台のやぐらが淘汰された訳です。中には先代・男里南組の様に童子畑と言う次なる活躍の場へ移ったやぐらもありますが童子畑でも先代やぐらが淘汰された訳です。やぐらが新調されるのは非常に楽しみで、新調入魂式の後に見学会や彫物撮影会と言った形で新調やぐらをカメラにおさめる機会も増えてきました。ありがたい限りです。

ただ、淘汰されたやぐらをカメラにおさめる機会が少ないのは非常に寂しい限りです。淘汰されたやぐらのほとんどが他所へ譲渡されホームセンターで販売中のやぐら、ネットオークションに出品されたやぐら、中には解体されたやぐらも耳にします。一度解体されたらその姿は永遠に見れなくなります。これから新調を控えている町も多く耳にします。ゆえに今のウチに是非とも淘汰される前の雄姿をカメラにおさめたく思います。





その様な中先日、自然田第三自治会様の特別な計らいにより先代・自然田東組の彫物を撮影する機会を頂戴しました。しかも提燈や金綱を外した姿も撮影したいと我が儘叶えてくださったりとやっと念願叶った気がしました。自然田東組関係者は新調やぐらにも力を入れているが先代やぐらにも非常に愛着あるのだなぁって、本当に理想的だと痛感しました。





そんな中、ふっと自町の事を考えてしまいました。自町のやぐらの彫物に興味ある方っているのだろうか? 自町のやぐらの歴史を学びたい方っているのだろうか? 自町の昔のやぐらの写真等を収集している方っているのだろうか? できればそう言う方々と世代を超えてゆっくりと話をしてみたい。今の我が貝掛のやぐらを今のうちに【記録】しておきたいと思うのは私だけだろうか? もし私の意見に共感してくださる方がいらっしゃれば是非とも御声を掛けてください。

最後に少し抽象的な意見ですが【記憶】を【記録】するための手段として写真は非常に有意義だと思います。【記憶】はいずれ忘れてしまいがちですが【記録】は半永久に残ります。東日本大震災でも故人を【記録】するために写真はとても大切な役割を果たしたかと思います。やぐらも然り、是非とも淘汰される前の雄姿を【記録】するためにもカメラにおさめたく思います。

ともあれ改めて東日本大震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表するとともに被災された方々に御見舞い申し上げます。