- 地車研究 feat. 自然田上組 瑞寶寺 寺入り -
- 2017/11/4 -






今から約17年前の平成12年8月12日(土)より始めた「週変わり!やぐらの写真集」。今週で目出度く更新900回目を迎えました。そこで今回、特別企画として「自然田上組 瑞寶寺(ズイホウジ) 寺入り」をお送りします。去る10月15日(日)、自然田上組やぐら昇魂式で数十年ぶりに行ったと言う寺入り、私も非常に感動しました。って言うのも「祭り」や「やぐら」って【神事】、一方で寺は【仏事】。明治元年/1868年に神仏分離令が発布され、神事と仏事ははっきり区別させられました。そんな中、だんじりでは岸和田市・久米田寺への行基参りや貝塚市・水間寺への寺入りは有名ですが(他にもあったら教えて下さいネ…)やぐらが寺入りするのは生まれて初めて拝見しました。

ココからは私くし個人的な感想ですが自然田上組の寺入りを撮影していると、隣の淑女が涙している姿が非常に印象的でした。一方で自然田地区のやぐらは波太神社へ宮入りする際、瑞寶寺に集まると聞きました。つまり、自然田の人々にとって瑞寶寺って非常に重要な存在なんだろうと改めて思いました。そんな瑞寶寺、まずは瑞寶寺のゆえんから。





瑞寶寺(ズイホウジ)

瑞寶寺はいつ頃創建されたかは不明ですが、もと玉田山の地続きの瑞寶寺山に在ったと云い伝えられ、僧侶と蛇にまつわる「乙ヶ池」伝説が残されています。

徳川時代以前は根来寺に属し、新義真言宗であったが、延宝(1672-1680)の初め浄土宗知恩院の末寺となり、玉田山自然院瑞寶寺と呼ばれています。

本堂は安政6年(1859)に七間四面の四柱重層の伽藍に改修され、特に上層と下層の間に彫刻を施した板を張り付け、所々に風穴を開けて風害を避けると共に堂内の湿気を調整する空気抜きを造っている外、軒垂木も全て扇垂木の手法を用いられている等、大工棟梁の苦心の設計が偲ばれます。

本堂内陣四本柱の柱掛、並びに本堂正面に高く掲げられている「殊明閣」の扁額は書家、田中瓊田(ケイデン)の書による雄渾卓抜の筆致で、瓊田生涯の傑作と言い伝えられ貴重な文化財であります。

堂内には、波太神社境内の神光寺から移されたと云い伝えられる厨子入り聖観世音菩薩立像(平安時代後期の作)や、子安地蔵菩薩立像(体内仏あり)等、阪南市指定有形文化財の仏像が安置されています。



そんな瑞寶寺への寺入り、「週変わり!やぐらの写真集」とのコラボ企画です。