- 史跡散策 feat. 波太神社 -
- 2009/3/21 -






波太神社

鳥取氏の祖神である角凝命を桑畑に祭ったことから、「波太」の名がついたものと思われます。

正確な創建の年代はわかりませんが、927年に完成した「延喜式」と言う当時の政治に関する規律を記した書物には、鳥取郷の総社として記載がみられることから、その当時には既に創建されていたようです。

桑畑から現在の地に移されたのは、いつの頃なのかはわかっていませんが、貝掛の指出森神社を合祀し神々をひとつの神社に祭ることとしたため、本殿には波太宮(祭神は角凝命)と八幡宮(祭神は応神天皇)が祭られ、末社三神社には天湯河板擧命、神功皇后、武内宿禰が祭られています。

天正5(1577)年には織田信長の紀州雑賀攻めの時、本陣がおかれたという記述が「信長公記」にみられます。

所蔵品には大阪府指定有形文化財「三十六歌仙扁額」があります。これは宮延絵師である土佐光成の作によるもので、元禄年間(1700年前後)の作です。

本殿の前にある石燈籠は慶長5(1600)年の銘があり、豊臣家の重臣片桐且元が寄贈したものと伝えられてます。