- 史跡散策 feat. 阪南市の街道 -
- 2010/2/21 -






前々から改めて整理してみたいと思ってました「阪南市の街道」。阪南市役所のホームページによれば、4つの街道が存在するそうです。今日はやぐらとは直接関係ありませんが、「史跡散策」と題して阪南市の街道を御紹介しようと思います。





浜(孝子越)街道
浜街道(孝子越街道)は、泉佐野市を起点に、浜づたいに尾崎〜箱作を過ぎ、岬町から孝子峠を越えて和歌山市内に通じる街道である。

井関越街道
井関越街道は、尾崎町を起点に、黒田〜石田を通り抜けて波太神社を通り、井関峠を越えて和歌山に至る街道である。鳥羽伏見の戦い(慶応4年/1868年1月3日〜6日)の時、多数の会津藩敗残兵が紀州藩を目指しこの街道を通り抜けた。途中力尽きて死んだ落ち武者対し、桑畑の村民が山中に手厚く葬ったという話も残っている。

紀州街道(熊野街道)
難波から南下し、山中渓から雄ノ山峠を越え和歌山へ抜ける街道である。古代には「南海道」として成立、平安時代以降熊野詣が盛んになると 天皇や公家たちの参拝所兼休憩所が山中渓に2ヶ所設けられ、「熊野街道」と呼ばれていた時期もあった。近世期以降紀州藩の参勤交代のため整備され、「紀州街道」と呼ばれた。

信長街道
泉南市信達で紀州街道から分離し、下出〜黒田を通り鳥取で浜街道と合流する街道である。天正5年/1577年、織田信長が雑賀攻めを行う際に整備された街道故に、この名が付いてます。

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PS.じゃあ、↑の写真の撮影場所は??? しばしば「信長」と呼ばれますが、実際は織田信長の雑賀攻め(天正5年/1577年)の際に通った街道じゃなく、豊臣秀吉の雑賀攻め(天正13年/1585年)の際に通った街道なんです。

詳しくは、「彫物題材 feat. 織田信長紀州遠征」を御覧下さい。 → 当該ページへ