- 史跡散策 feat. 市場稲荷神社 -
- 2012/5/27 -






主神
豊受姫大神は第七十四代鳥羽天皇の御代天仁元年(皇歴1768年)に伊勢外宮より御観請して斎き祀つる

配神
赤井神社(又は梅の宮)は淡輪文書にあるまぼろしの大巨刹佛性寺の守護神であった佛性寺は織,豊,の根來攻めに焼失したと云われ、後年大阪府史蹟に指定され現在跡地に碑が建立されている

配神
牛神神社は牛の守護神で毎年七夕の早朝農家はそれぞれ牛を追うて参拝するをならわしとしていたが現在市内一頭の牛もなくこの風習は廃絶した

鎮座地 市場村の由緒
信達市場は当時日根郡信達荘御所村と称され遠く平安朝天皇家貴族を始めとして一般民衆の間に熊野詣でが盛んに行われ、その際の宿所となり、特に後鳥羽院白河法皇等熊野への行幸の砌り止宿される仙洞御所のあった故を以って御所村と云われた、後世江戸期より信達荘(泉南市の大半)の商業の中心となり、特に毎年年末に村内の往還数丁にわたって歳の市が開かれ、正月用品の買入れ近在より人々が集まり賑わいがあり御所村を市場村と改めた。この歳の市も戦中以後廃絶した

稲荷の称号に付いて
稲荷とは稲みのる、なるの意味であり農業を始めとする機織その他各産業の発展を司る神を奉斎する社の義であって伊勢内宮の天照大神と共に日本の始祖の女神である豊受大神の御神徳を称讃する尊号である。